土居中事件
まごころ広場 四国中央市の人権を守る真の会 |
元四国中央市立土居中学校の教員であった、石川周治教諭、篠崎良治教諭、伊藤貴仁教諭が、河村卓哉教諭を、傷害罪および名誉棄損罪で訴えました。 その裁判の第1審判決が、平成23年(2011年)の4月に、松山地方裁判所西条支部にて言い渡されました。 それは、非常に、非論理的で、まるで素人が書いたかのような欠陥だらけの判決でした。 そこで、私たちは、この裁判の第1審で繰り広げられた証人尋問を子細に検証してみました。 その結果、明らかな論理的帰結が得られました。 それを、ここにこれから発表いたします。 【1】傷害事件はあったのか!? この傷害事件は、石川周治教諭が、河村卓哉教諭から「ひじで殴られた」として、告訴したものです。 それを「目撃した」と言うのが、伊藤貴仁教諭と本宮久忠教諭でした。 この3人の証言を検証してみます。 |
石川周治教諭の証言 検察I(池田副検事)の証人尋問 検察I:証人は、そのとき被告人のどこを見ていましたか。 顔を見ていました。 検察I:そのようなやり取りをしていた中で、どういうことが起こりましたか。 河村先生の右肩が少し下がったと思ったときに、私の左ほほに激しい衝撃を受けました。 検察I:激しい衝撃を受けてから、どうなりましたか。 痛みを感じて、首がねじれました。目の前が真っ白になりました。 検察I:首がねじれたのは、どちらの方向にねじれたんですか。 右のほうです。 検察I:再度確認しますが、被告人の右肩が後ろに下がったように見えたんですか。 はい。 検察I:それで、次の瞬間に、左ほほに激しい衝撃を感じたということですか。 はい。 検察I:そして、顔ですか、首ですか。 顔が振られて、首がねじれた形になりました。 検察I:どのように殴られたと思いましたか。 こぶしで殴られたか、と思いました。 検察I:そのときには、こぶしで殴られたと思ったんですね。 はい。 検察I:その後、証人は被告人からどのように殴られたのか、はっきり分かりましたか。 はい。 検察I:それはどのように殴られたと分かりましたか。 そばに居た先生から、「ひじで殴られた」というふうに聞きました。 検察I:こぶしではなくて、ひじで殴られたということを聞いて、証人自身はどう思われましたか。 びっくりしました。 検察I:殴られた直後、その衝撃で、証人はどのような意識状態になりましたか。 ぼうっとしていたと思います。 |
石川周治教諭は告訴しているので検察は石川周治教諭の味方ということになります。いうなれば、これは検察の作文通りと言えます。 ところが弁護側の反対尋問を浴びて石川周治教諭はしどろもどろになり、次々と矛盾や食い違いをあらわにし、そして「覚えていません」に終始していくのです。(他の検察側の証人はみな同じです。) では、次に弁護側の反対尋問を見てみましょう。 |
石川周治教諭の証言 弁護U(臼井弁護士)の反対尋問 弁護U:あなたが要するに河村先生から殴られたと言われるそのときの姿勢について、確認のために伺いますが、あなた自身と河村先生との間、距離はどれぐらいだったということでしたかね。 はっきり覚えてないんですが、今測ると50cmでした。 弁護U:先ほどの写真を撮ったときは、50cmということでしたね。 はい。 弁護U:その前に、あなたはその距離について話をされたことはありませんか。 はい、今日も話をしました。 弁護U:前は60センチというふうにおっしゃってませんか。 それは、警察で調べたときに60cmだったです。 弁護U:あなたは、殴られたというときの姿勢ですけども、どういう体勢でしたか。まっすぐ直立不動の格好ですか、それとも体を何か傾けたりいろんなことをしてますか。 もう一度お願いします。 弁護U:あなたが殴られたと言われてるときのあなたの姿勢です。直立不動なのか、どちらかに傾いた前後とか左右とか、傾いた姿勢をとっていましたか。 まっすぐだったと思います。 弁護U:ということは、顔もまっすぐ上げておったということですか。 はい。 弁護U:よそを見てることはないですね。 ないです。 弁護U:ということは、河村先生と真っ正面から向き合ってるということですね。 はい。 弁護U:背筋もまっすぐ伸ばしてると。 まっすぐかどうかは分かりませんが、伸ばしてたと思います。 弁護U:丸めてはいないということですね。 はい。 弁護U:ということは、あなたは覆いかぶさるようなことはしてなかった、と言うんですね。 はい。 弁護U:そうすると、あなたは、今日の証言では、50cm離れたところで真っ正面で顔を向け合ってたということですね。 はい。 |
さあ。この反対尋問の中で上に赤で示したところをよく見てください。 これだけで、石川周治教諭は嘘をついていることが論理的に結論付けられるのです。 お分かりでしょうか? 石川周治教諭が言うには、河村卓哉教諭と50cm離れていると言います。肩から肘までの長さはどのくらいでしょうか。図ってみてください。はい。30cm以下です。 石川周治教諭は、背筋を伸ばし河村卓哉教諭と真っ正面で顔を向け合って立っていたのです。 50cm離れているのに、30cmの肘は顔まで届くはずがありません。 このことは何を物語っているかと言えば、 「ひじ打ち」はなかった ということです。 まだあります。 |
池田副検事の証人尋問 検察I:証人は、そのとき被告人のどこを見ていましたか。 顔を見ていました。 検察I:そのようなやり取りをしていた中で、どういうことが起こりましたか。 河村先生の右肩が少し下がったと思ったときに、私の左ほほに激しい衝撃を受けました。 この部分は、弁護側の反対尋問でさらに詳しくされました。 臼井弁護士の反対尋問 弁護U:右肩が少し下がったという表現は、そんなに難しいことじやないと思いますよ。こう下に下がったのか、それとも。 引いたと思います。 弁護U:引いたというのは。 後ろに。 弁護U:右肩を後ろに引いたということですか。 はい。 弁護U:そのあとのことは全く覚えていないということですか。 はい、目の前が真っ白になりましたから。 弁護U:ということは、河村先生の腕がどのような動きをしたかというのは、全然見てないということですか。 はい、見えなかったです。 弁護U:不思議ですね。真っ正面から向き合って対峙してる、そういう状況の下で、相手の肩は見えたけども、その腕が見えなかったということなんですか。 はい。 弁護U:全く見えなかったですか。 今、記憶にないということですね。 弁護U:見てなかったということですか。 はい。 弁護U:正面から対峙してたら、本当は見えるはずじゃないですか。 見えなかったです。 |
石川周治教諭は、河村卓哉教諭が「右肩を後ろに引いた」ところを見たと言います。ところが、「そのあとのことは全く覚えていない」というのです。 どうでしょうか。 右肩を後ろに引いて、野球のバッターのバックスイングのようにため込んでおいて、それからひじ打ちと言うならそういうやり方があるのかもしれません。しかし、肘そのものは見えなかったとしても、後ろに引いた右肩が今度はまた元に戻るところは見えないはずがありません。そうしなければ、肘は飛んでこないからです。 正面から対峙して顔を見ているにもかかわらず、「右肩を引いた」のは見えたが「右肩が上がった」のは見えなかったというのは、あまりにも不自然です。 石川周治教諭の証言の、矛盾するところは他にもあまりにも多くありますので、また後ほど紹介します。 それでは、次に、本宮久忠教諭の証言を見てみましょう。 |
本宮久忠教諭の証言 池田副検事(検事I)の証人尋問 検事I:そのあと、どういうことが起こりましたか。 しばらくして一瞬静かになったかと思ったら、石川先生の体越しに河村先生の右手のひじが上に上がるのが見えたと思ったら、それを振り下ろして石川先生を殴ったのが見えました。 検事I:どこで殴ったのが見えましたか。 最初は、こぶしで殴ったのかなと一瞬思ったんですが、距離的なものや状況を考えたときに、ひじで殴ったというのがはっきりと分かりました。 検事I:どちらのひじでしたか。 右ひじです。 検事I:そのひじ、石川先生のどこに当たったんですか。 左あごの付近だったと思います。 |
この証言の中に実は非常におかしいところがあるのです。 分かりますか? それは、水口弁護士が反対尋問で指摘しています。 |
本宮久忠教諭の証言 水口弁護士(弁護M)の反対尋問 弁護M:あなたは、先ほどの主尋問の中でも「最初はこぶしで殴ったかと思った」というふうに言ってるので、こぶしで殴ったと思ってたのではありませんか。 いえ、そのときにすぐに「こぶしかな」と思ったけども、すぐにひじだと分かったので、はっきり分かったので。ただ伝える方法としては、こうするしかなかったので伝えました。 弁護M:その最初、こぶしで殴ったと思ったのに、なぜ、ひじ打ちだというふうに分かったんですか。 位置関係的なものです。 弁護M:先ほどの再現の中身を見れば、ひじが上がってるので、ひじが、あなたの言う、左あごに当たったというふうに、最初から分かったんではありませんか。 いえ、ひじを上げたときに腕も上がったので、一瞬こぶしかと思いましたが、そのあとにすぐにひじだと分かりました。 弁護M:だから、そこの説明が、わざわざするようなことかいなという疑問があるんです。先ほど、あなたが再現したように、ひじを上げて、あなたが言うには、ひじが左あごに当たったということを再現させたんであれば、最初から「ひじが当たりましたよ」あるいは「ひじ打ちでしたよ」と思うのが普通で、なぜ、最初に「こぶしで殴ったのか」と思ったというところがなぜ出てくるかです。 そう思ったから、そう言いました。 弁護M:それは、あなたは見てないからでしょう。 いえ。そう思ったから、そう言いました。 弁護M:だから、最初からひじが当たるところを見ている人が、こぶしで殴ったかと思うという発想がまずないんです。それが、わざわざ説明して、最初はこぶしで殴ったかと思ったけども、距離の関係とか諸々のことで、ひじ打ちと分かりましたという説明をするのは、あなたは見てないんでしょう。 見てないというのはどういう意味でしょうか。 弁護M:見てないのよ。 見てないというのはどういう意味か分かりません。 弁護M:見ないままで証言してるのではありませんか。 いいえ、目の前で見ました。 |
「見てないというのはどういう意味でしょうか」と2回も聞きなおすこと自体が、実は見てないんだということを表していると考えられます。 このことは最後に日の裁判官がだめ押しをするのです。 |
本宮久忠教諭の証言 日野裁判官(裁判官H)の尋問 裁判官(日野) 裁判官H:河村先生のひじが上がって石川先生の左あごに当たった瞬間は、見たんですか。 当たった瞬間は、さっきほども言いましたが、はっきりとは見えてません。 裁判官H:そうすると、どのへんまで見えたという。 振り下ろした瞬間に顔がゆがんだのが、はっきり分かったということです。 裁判官H:そうすると、振り下ろす行動を見たということですか。 はい。 裁判官H:振り下ろす行動と、それから、石川先生の顔の向きが変わったのを見たということ。 そうですね。 裁判官H:そこから、ひじが当たったのだろうと推測したということですか。 この部分に当たったんだろうと判断しました。 |
つまり次のことが明らかになりました。 本宮久忠教諭は、河村教諭の肘が石川教諭の左あごに当たった瞬間は見てない ということなのです。 |
では、さらに、伊藤貴仁教諭の証言を見てみましょう。 |
伊藤貴仁教諭の証言 検察官I(池田) 検察I:それでは、その立ち位置の状態で、殴ったときの状況を再現してもらいたいと思います。それで、補助者の方に手伝っていただいて、補助者の方を指示して動きを指示していただけますか。まず距離関係ですが、二人の間の距離関係はこのぐらいでよろしいですか。 はい。 検察I:被告人の姿勢なんですが、被告人の姿勢はこの姿勢でよろしいですか。 はい。 検察I:手は下に下がってる状態ですね。 はい。 検察I:これは殴る直前の状態ですけども、被害者の姿勢はどういう姿勢ですか。ちょっとご自分で再現していただいて、補助者に示していただけますか。 こんな感じ。 検察I:その状態で止まっておいてくださいね。証人はそのときどの位置にいましたか。 ここにいました。 検察I:二人の距離関係をメジャーで測りたいんですけど、よろしいですか。 裁判長(熱田康明) 裁判長:何cmですか。 検察官I(池田) 検察I:48cmです。そしたら、先ほどの位置に立っていただいて、その位置で、被告人の右ひじが上がった状態を証人が再現していただいて、補助者がそれをまねてもらった状態で写真をお願いできますか。ひじを上げた状態を、そのひじの型でよろしいですか。 はい。 検察I:その状態で、微妙に動いたというのを再現してもらえますか。ゆっくり動かしてください。それが石川先生のどこに当たるんですかね。 左ほほに当たりました。 検察I:その当たった状態のところで止めてもらえますか。 |
伊藤貴仁教諭によると、石川周治教諭と河村卓哉教諭の間の距離は48cm。これは、石川教諭の証言による「50cm」とほぼ同じです。「ひじ打ち」は届かない距離です。 しかしそれが「左ほほに当たりました」、「その当たった状態のところで止めてもらえますか」と言うのはどういうことでしょう?なぜ当たるのでしょう? それは、 質問:これは殴る直前の状態ですけども、被害者の姿勢はどういう姿勢ですか。ちょっとご自分で再現していただいて、補助者に示していただけますか。 こんな感じ。 というところで、伊藤貴仁教諭は上半身を前に傾けたのです。そうすると、河村教諭との距離が30cm程度になって肘が当たるようになるのです。 では、弁護側の反対尋問を見てみましょう。 |
伊藤貴仁教諭の証言 弁護士M(水口) 弁護M:さて、それで、今のひじ打ちの点ですけれども、もう一度2人に指示をしてもらえますか。すみませんがもう一度だけ、ひじ打ちの体勢を指示してください。 はい。 弁護M:まず、被告人が右ひじを上げたというところを指示してください。 右ひじを顔の高さまで上げる。 弁護M:それで、今度は石川さんが、先ほどの証言では前へ倒れてましたけども、それをまっすぐに、それで写真を撮ってください。 弁護M:次に、先ほど説明した、石川さんを倒してあげてください、どの程度倒れていましたか。 顔がちょっと近づくぐらいですね、もうちょっと。 弁護M:それで、次に当たったところを指示してください。 そのまま振り下ろす、事前に。 弁護M:ここでいいですか。それで撮ってください。 弁護M:その姿勢で、石川さん役の方は、まっすぐ体を戻してください。ここを撮ってください。 弁護M:それでいいです。また戻ってください。今、あなたに再現してもらいましたけども、石川先生が前へ上半身を倒していると、河村先生のひじが当たっていて、石川さんの上体を起こす、まっすぐにしているとひじが当たらないと、そういうことでいいですか。 そういうことっていうのは。 弁護M:そういうことが今再現されましたけど、間違いないでしょう。 はい。 弁護M:石川さんはこのトラブルのときに、上半身をまっすぐ伸ばしていたのではありませんか。 伸ばしていたときもありましたけど、当たって殴られたときは、前かがみになってました。 弁護M:石川さん自体は、上半身をまっすぐにしていましたと言っているんですけど、違うんですか。 私は、始めは前に顔があったと覚えています。 弁護M:その点も、石川さんと証言の中身が違うということですか。 私は、私が思っていることを言っています。 |
臼井弁護士(弁護U)による石川教諭の尋問をもう一度見てみると 弁護U:あなたが殴られたと言われてるときのあなたの姿勢です。直立不動なのか、どちらかに傾いた、前後とか左右とか、傾いた姿勢をとっていましたか。 まっすぐだったと思います。 弁護U:ということは、顔もまっすぐ上げておったということですか。 はい。 こうなっています。 明らかに伊藤教諭の証言とは食い違っています。 さて、ここで、伊藤教諭は大変重要な証言をしたのです。 再現された写真を見れば、上半身だけ前に傾けた姿勢と言うのはとても不自然です。さらに石川教諭は、顔もまっすぐ上げておったと言っています。実際顔をまっすぐあげて河村教諭の顔を見てなければ、河村教諭の右肩が後ろに引かれて下がるのは見えるはずがありません。 そうすると、 上半身を前に傾けて顔はあげている姿勢 を石川教諭は取っているのです。 不自然です。 しかし、あることをくわえてみると、これは自然な姿勢になるのです。 あることとは、石川教諭を河村教諭に近付けてみるのです。くっつくまで。 そうすると、これは、 石川教諭が河村教諭にタックルをしている まさにその姿勢になるのです。こうしてみれば自然な姿勢だといえます。 こうして伊藤教諭の証言から、次の重要なことが論理的に帰結しました: 石川周治教諭は胸で河村卓哉教諭を押していた。 これは、音声データの、 石川周治「相談室へ行こ行こ」 河村卓哉「押すな。当たるな。」 と整合します。 この 《石川周治教諭が河村卓哉教諭を押していた》 事実は、石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭ともに、ひたすら隠していました。証言ではその事実を認めませんでした。 ここで、もうひと方、中立的立場にある河村敏和次長(教育委員会)の証言を見てみましょう。 |
河村敏和証人尋問調書 弁護人M(水口) 弁護M:校長、教頭、高橋恭敬さんの名前が出ましたけど、その3人はどんなことを言ってましたか。 保健室の前だったと思うんですけれども、そこで生徒のことでトラブルになったと言い合いになって、そして、ここではいけないからということで近くの部屋に移ってもらおうとしたそのときに、石川先生が胸で胸を使いながら誘導していこうとしたと、そのときに、河村卓哉先生が石川周治先生の顔をひじで殴打したというふうな内容であったように思います。 弁護M:今言われた中で、胸を使いながら誘導するというのは、どういうことなんですか。 両手を広げ、胸で、広げて胸でこう誘導というんですかね。こう、「こっちへ行こうや」というような感じでしたと。 弁護M:押していってるということですか。 まあそうでしょうね。 |
河村敏和次長はこのように、 石川先生が胸で、胸を使いながら誘導していこうとした 押していってるということですか。 まあそうでしょうね。 と、石川周治教諭が河村卓哉教諭を胸で押して行ったことを明言しているのです。 ただし、これは河村敏和次長がそれを直接見たのではありません。 |
河村敏和証人尋問調書 弁護人M(水口) 弁護M:それで、4時過ぎぐらいに行って、どなたから事情を聞きましたか。 そこにおいでた教頭先生や校長先生だったんですが、それから、高橋先生も居てたと思うんですけども、その中、校長先生とか教頭先生とかから話を聞きました。 |
さて、伊藤貴仁教諭の証言ですが、この人物は多大なウソを証言しています。いたるところ嘘だらけと言ってもいいくらいです。 そこで、上記に引用した部分が大嘘であることを、証明しておきましょう。 それは、石川周治教諭の証言から明らかにできるのです。 |
石川周治教諭証人尋問調書 弁護人M(水口) 弁護M:次の質問にいきますけども、今日の法廷でも、直接殴られたときの状況を補助者と一緒に立てて写真に撮りましたけども、そのときのことを聞きますけども、周りにいた先生の位置は分かりませんか。 はい。河村先生とのやり取りで夢中というか、それに終始してましたので、周りの先生がどこにいたか、移動もされていたと思うんで分かりません。 弁護M:伊藤さんの話では、石川さんの右横にいたと言ってますけど、違うんですか。 言われるんだったら、そうだと思います。 弁護M:言われるんだったらそうやけども、それさえも分からないということですか。 右側手に移動されると思うんで、結構長い時間、触った、当たるなとやり取りしたので、どこにいるか分かりませんでした。 弁護M:そんな移動したときのことなんか聞いてないのよ。先ほど言ったように、あなたがこの法廷で示した、「あのちょっと右肩を引いた」そういうように言われたそのときのことを聞いてるのよ。そのときに、右横に伊藤さんがいたかどうかも覚えてないわけですか。 はい。 弁護M:右横の伊藤さんを覚えてないとすると、本宮さんがどこにいたか覚えてますか。 覚えていません。 弁護M:本宮さんの話では、何かあなたから左後方1mのところというふうに言ってるようですけども、そういうことではありませんか。 覚えていません。 弁護M:覚えていないというか、知らないということですか。 はい。 |
この部分です。 伊藤貴仁教諭は、河村卓哉教諭と石川周治教諭の真横で見ていたと証言しています。 池田副検事:そのとき証人(伊藤)は、その2人に対してはどういう位置にいたんですか? 伊藤貴仁教諭:河村先生の左側、石川先生の右側に立っていました。 つまり、石川周治教諭の右斜め前にいたということなのです。 それは、視界に入るところです。 いくら動いていても、視界に入る一番近くにいる人のことを見てないということは絶対にありません。 これはすなわち、石川周治教諭が、伊藤貴仁教諭がいたとされている場所に伊藤貴仁教諭を見てないということですね。 言いかえれば、伊藤貴仁教諭がいうところの、「河村先生の左側、石川先生の右側」には、伊藤貴仁教諭は居なかったということなのです。 (これに対して、石川周治教諭の左斜め後ろにいた本宮教諭は視界に入りませんから見えてなくても当然なのです。) ですから、伊藤貴仁教諭が「河村卓哉教諭が石川周治教諭の左ほほをひじ打ちした」と言うのは、真っ赤な作り話であるということです。 まとめておきましょう。 伊藤貴仁教諭の証言も偽証である 位置関係は、裁判で再現されました。 その様子についてはこちらをご覧ください。 さて、では、伊藤貴仁教諭の立っていたとされる場所には誰がいたんでしょうか。その真向いには星田教諭がいます。 はい。これは、河村卓哉教諭と星田真喜子教諭が証言していることから、その人物がわかってきます。 では、河村卓哉教諭の証言を聞いてみましょう。 |
河村卓哉証人尋問調書 弁護人M(水口) 弁護M:それで、次は、その1月16日のトラブルの原因ですけども、これは保健室にいた生徒のことが問題だったわけですか。 はい。 弁護M:その生徒は、簡単に言うたら、どんな生徒なんですか。 非常にまじめな子で、さわやかで、前向きで、私は1学期には少人数クラスでその子を持ってたんですけど、とても好感が持てる、スポーツマンタイプの子でした。 弁護M:その子は土居中学校を転校していくわけですよね。 はい。 弁護M:それは、河村先生はいつごろ知ったんですか。 その1月16日の朝知りました。 弁護M:彼はどういうことから転校すると言ったんですか。 話はすごく長いんですけど、一言にまとめたら、土居中の教師からいじめられていると。授業には行けんようになっとんのに、「行け行け」いうて無理やり連れていかれると。もうこれ以上は僕はここにはおれんという、そういうことでした。 弁護M:その無理やり連れていかれるというのは、どういうことなんですか。 授業には、本人は気持ち的に出れないんですね。ところが、見た目に骨を折っとるとかいうようなんじやないから、おまえサボっとるんだろうと見られて、それで「授業へ行け」というふうに、強引に保健室を引っ張り出されるみたいな感じでした。 弁護M:それで、1月16日のときも、その生徒を呼びに来たということですか。 はい。清掃が済んで、終わりの会がすんでしばらくしたときに、伊藤貴仁教諭が呼びに来ました。 弁護M:生徒はどんな感じでしたか。 生徒はもうその前にそういうようなこと、僕その日5時間目に話を聞いて、全部言うてくれてですね、特に伊藤貴仁教諭と篠崎良治教頭からは、もう頻繁にそういうのをやられていて、「彼ら2人はもうとにかく許せんのじゃ」と言いよったんです。そこへ伊藤員仁教諭が呼びに来たんで。彼(M君)はもう、僕も勧めたんですけど、最後の日だからね、でももう「友達に会ったら、また未練が出たらいかんから、行けん」と言いよったんで、代わりに僕が「行けん」と言いました。 弁護M:それで、河村先生と伊藤貴仁さんらがその廊下に出るわけですか。 はい。僕がとにかく出えということで大声を出して、外へ出るように流れを作って、そこへ石川周治教諭も来たんですけど、両方どもその廊下へ一緒に出るようにしました。 弁護M:廊下に出た後、どんなことがありましたか。 私が大声を上げとるもんだから、石川周治教諭が私を「相談室へでも」ということで、体で押してきました。 弁護M:その体で押すというのは、どういうことなんでしょうか。 私が廊下で大声を上げとるんで、すごくそれが目立つみたいな、それはまずいということなんだろうと思うんですけど。とにかく「先生、相談室へでも」ということで、お腹と胸とで、体全体で押してきました。 弁護M:それは、相談室のほうに向かってということですか。 そういうことです。 弁護M:それで、実際に石川先生から押されて、河村先生も動いてるわけなんですか。 はい。やっぱり力が強いんで、抵抗はしたと思うんですけど、後ろへ後ろへと押されました。 弁護M:押すというのは、直接体がぶつかっている状態なんですか。 そうです。 弁護M:それで、石川先生のほうに押されて、保健室のほうから相談室のほうに移動をしているわけですか。 はい。 弁護M:相談室のどの辺りまで移動しましたか。 廊下は狭いんですけど、もう相談室のすぐ前ぐらいまで、廊下反対側の壁ぐらいまで移動しました。 弁護M:そうすると、壁を背にして、河村先生がいて、その前に石川先生がいるということですか。 そうです。 弁護M:その押してくるときに、やめてくれとか、そういうようなことは言ってないんですか。 「当たるなや」、「やめや」みたいな、そうやって言うとりますね。 弁護M:それで、河村先生のほうも、例えば両手で押し返すようなことはしてないんですか。 それはありません。お互いにそれは認識があったと思うんです。特に荒れた学校でやっとると、生徒がどんなに荒れとっても、こっちが「おまえちょっとやめや」みたいに手を出して触ったら、もうそれで体罰をしたことになるみたいな。そういう認識があったんで、このときも、手で触るということは一切しないように、それはお互いの中にあったと思うんです。 弁護M:それで、先ほど言った、お腹とか胸とかいう身体全体を使って、こう押すという形になるわけですか。 だと思います。 弁護M:それで、今言ったように、相談室の壁ぐらいまで移動しました。そのあとどんなことがありましたか。 相談室の壁がもう後ろで、後ろがないんで、右へよけようとしました。で、両手を左から右へ払って、これ以上来るなやという、そこへ両手で壁を作るというイメージですけど、それで払って右へ出ようとしました。 弁護M:それで、どうなったんですか。 そうすると、左腕の肘の内側が周治先生に当たりました。 弁護M:周治先生のどの辺に当たったんですか。 顎か、ほっぺたか、首かです。 弁護M:当たったのは何回ありましたか。 その1回だけです。 弁護M:そのときに、石川先生の方の反応というんですか、対応はどうでしたか。 それで動きが、押してくる動きが止まったんじやないんかなと思います。止まって、「これどうしてくれるん」みたいな感じの話になりました。 弁護M:押すこと自体は止まったわけですね。 止まりました。 弁護M:それで、あと、当たったところを押さえるとか、そういうことはありましたか。 これは本当に後々まで不思議なかったんですけど、こう当たったから、右の顎に当たったはずなんですけど、反対側を押さえて、これどうしてくれるんと言いました。 弁護M:押さえてというのは、どういう形で押さえたんですか。 押さえるんじやなくて、指さしてです。 弁護M:それは当たったすぐのことなんですか、それとも大分たった後なんですか。 これは音声を聞いて、私も思い出したんですけど、音声を聞いてというか、夜の会話を聞きよって思い出したんですけども、すぐ後のことです。 弁護M:音声で言えば、どなたかが「今殴ったやろう」というのが入ってて、そのあともいろいろ話があって、大分後で石川先生が、「これ効いたよ」ということになって、それから「どうするん」とかいう話になるでしょう。 はい。 弁護M:今、河村先生が言ったのは、石川先生がかなり効いたよと言った後のことなんですか。 その辺りだと思います。 弁護M:それで、私が聞きたかったのは、河村先生の肘が当たったとき、当たったすぐに何か動きがありましたかとりいう質問です。 当たったすぐのころ、ちょうどそのときに校長、村上正哲校長がやってきました。だから、そのこともあって、動きが止まったと思います。 弁護M:石川先生は、だから、その当たったすぐに、例えば頬を押さえて、痛いなあというような表情を見せたかどうかということです。 いいえ、ありません。 弁護M:特に、当たったからといって、特別表情に出たこともないということでいいんですか。 もう言うたら、微動だにせずという感じです。 弁護M:それで、このトラブルの時間ですけど、これはどれぐらいだったんですか。 あの音声の時間そのもので間違いないです。3分20秒ぐらいですかね。 弁護M:その録音にある中身がそのとおりということでいいんですね。 そうです。 |
河村教諭:当たったすぐのころ、ちょうどそのときに校長、村上正哲校長がやってきました。だから、そのこともあって、動きが止まったと思います。 ということなんですね。 そうすると、伊藤貴仁教諭が自分が立っていたという場所には誰もいなかった。 石川教諭と河村教諭が「入ろ入ろ」、「押すな当たるな」とせめぎ合っているときに、村上正哲元校長が駆けつけてきている。 そして、河村教諭の左ひじが石川教諭の右ほほに当たったちょうどその時に、村上正哲元校長が河村先生の左側、石川先生の右側にやってきた。 こういうことです。 上記の場面を星田真喜子教諭の証言で確認しておきましょう。 |
星田真喜子教諭の証言 弁護人M (水口)の証人尋問 弁護M:まず、だれの肩が、だれに当たったの。 石川先生の肩か胸が河村先生に当たるので、河村先生が、私が見たときは手でこう、自分の身をよけようとしていたと思います。手は挙げてたのを見ました。 弁護M:手を挙げるというのは、どういう形で挙げているんですか。まっすぐ上に挙げているのか、曲げているのか。 曲げて、こう、顔をどない言うんですか、守ろうと。顔を守ろうと。ごめんなさい、上手に言えんですけど。とにかく自分の顔に当たらないようにと思ったんか、顔の前で手を。 弁護M:今の体勢からすると、両手のひじを曲げて、手の平を相手のほうに向けて、顔あたりで左右に振っていたということですか。 はい、そうです。 弁護M:そういう体勢を河村先生のほうはとっていたということですか。 はい。 弁護M:それで、後どうなるんですか。 それで「今殴ったろ。」というのが聞こえて「警察じゃ。」と言うんで、高橋先生が「警察じゃ。」というのが聞こえました。見たら、すぐに職員室に飛び込んだのが見えたので、えっと思って校長先生のお顔を、目と目が合いました。で、校長先生の目を見たけれども、警察呼べとも、うんともすんとも言わないので、えっと思ったから、校長先生、本当に大丈夫なんかなと思って、少しの間、校長先生と目と目を見合わせました。 弁護M:「殴ったやろ。」と言ったの、何という声が聞こえたの。 「殴った。」と聞こえたんですけど。 |
これは重大な証言です。 本宮教諭が「今殴ったろ」と言ったらすぐに高橋恭敬教諭が「警察じゃ」と言って職員室に飛び込み、そして、星田真喜子教諭の正面に立っていた村上正哲元校長と、目と目があった。 というのです。 星田教諭の正面に村上正哲元校長がいたということです。 それは、河村卓哉教諭の証言とも一致します。 伊藤貴仁教諭たちが偽証していることがここまでではっきりしましたので、校長の位置についてまとめておきたいと思います。 村上正哲元校長は、そのとき、河村教諭と石川教諭の真横にいた。 村上正哲元校長を含め、土居中の「ランチルーム」メンバーたちは一様に、村上正哲元校長がその時現場にいなかったと、話を作り上げています。 しかし、はっきりといなかったとは言えない。 そこにいるのを見ているわけだから。だから、石川周治教諭たちのように、「村上正哲元校長がいたかどうかは覚えてない、わからない」という答え方になるのです。 村上正哲元校長と篠崎良治教頭が、河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭に当たった時、保健室前廊下にいたことは、後で触れますが、はっきりとした物証があるのです。 さて、上記の河村卓哉教諭の証言は、 「ひじ打ち」はなかった ということと 石川周治教諭は胸で河村卓哉教諭を押していた ということに、すっきりと整合しています。 ここで問題となるのは、肘の当たった側です。石川周治教諭たちは「左ほほをひじ打ちされた」と主張します。一方、河村卓哉教諭は「よけようとして左ひじの内側が、石川周治教諭の右ほほ当たりに当たった」と主張します。 「左ほほ」と「右ほほ」の違いがあるのです。 ここまでの証言を見てみれば、河村教諭の証言の方が信用できることが明らかです。 河村卓哉教諭の左ひじが石川周治教諭の右ほほに当たっていたのであれば、石川周治教諭が言う「左ほほ」にはかすってもいないことになります。 しかし、ここで、 《診断書》 の問題が出てくるのです。 石川周治教諭は、「左ほほに肘が当たった」ということで診断書をとっています。3週間の診断書です。 したがって次はこの診断書の問題を検証する必要があります。 |
このようなサイトが出ています(2012年6月)。