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土居中事件

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水口弁護士

最終弁論

2011年2月16日

 

それでは弁論を行います。まず、本件は、傷害事件と、名誉棄損の事件でありますが、いずれも四国中央市立土居中学校に関することであります。傷害とは土居中学校内で、生徒の転校問題から発生したトラブルでありますし、名誉棄損事件は、そのトラブルがきっかけとなって、生じたことであります。まず被告人は、教育熱心な教師です。伊藤学年主任の妻も教員でありますが、授業の資料を貸してほしいと被告人に要望したこともあったそうです。しかし、被告人は、川之江北中学校で、うつ病となり、休職したのち復職しております。川之江北中学校では、本件のようなトラブルは何もなかったのであります。

ところが、転勤した土居中学校において、同じ病気で苦しんでいるなかで本件は発生したのであります。したがいまして、本件においては、土居中学校では、なぜトラブルが生じたのか、その点を解くことが極めて重要であり、その点を踏まえた判断をしたければならないと思うのであります。

まず第一に公訴事実第1の傷害について述べます。検察官は被告人の(?)の対応について、公訴事実においては、石川の左ほほ部で右ひじで1回、肘打ちする暴行とし、冒頭陳述では肘を曲げた状態で、右腕肘部分を上にあげ停滞して石川教諭の顔面に向け、勢いよく振り下ろし、石川教諭の左顔面を右ひじの肘打ちで殴りつけたとしております。その暴行の態様について、伊藤は、右ひじが肩上まで上がった。それを右斜め上から左斜め下にその肘を振り下ろすように動かした。本宮も右腕の肘が上に上がるのが見えたと思ったら、それを振り下ろす行動を見たので肘で殴ったと判断した。そして、石川も被告人から殴られたと証言をしました。石川は左ほほに激しい衝撃を受け、痛みを感じて首が右の方向にねじれて目の前が真っ白になったと証言した。伊藤や本宮も石川の顔が右下の方向にぶれた、石川の首が右にぶれるようにというような証言をしましたが、これらの証言は、これから述べますとおり、信用できないものであります。

まず、被告人が廊下で石川教諭と対峙するにいたった経緯であります。被告人は、保健室で教師との問題や転校についての悩みの相談を持っていたところに、伊藤教諭と石川教諭が合唱練習に連れ出しに入ってきたものであります。嫌がる生徒を保健室から引っ張り出されると、保健室しか居れない生徒の心を深く傷つけることを慮った被告人が、両名を保健室から出したものであります。石川は被告人を相談室へ入れようと両手を広げて下の方へおろし、「相談室へ入ろ入ろ」と腹や胸を被告人に押しつけながら、相談室の入り口の方向へ押して行ったものであります。被告人は石川に押されて後ずさりしましたが、被告人の側からは石川に体をぶつけたりしてはいないのであります。そのことはその時に録音されていた被告人の「押すな、触るな」の声からも明らかであります。四国中央市教育委員会の河村次長は校長または教頭から聞いた話としては、石川が胸を使って誘導していたと証言していることからも明らかであります。

石川は、身長174センチメートル、体重百キロ、ウエストは100センチメートルを超える巨漢であり、アメリカンフットボールをしていたということから、その押しつけてくる圧力は相当なものであったことがうかがえます。じりじりと押されて被告人は、後ずさりをするだけですけれども、石川の方からは腹や胸を使って押し続けています。そこで被告人は、石川と被告人との間に壁を作るように、それまで下に下げていた両手を顔のあたりまで上げて、それから左から右に回すようにして、右の方向に逃れようと移動しようとしました。その時に被告人の左ひじの内側が石川の顔かあるいは顎あたりに当たったものであります。被告人の行動は石川の体が被告人に接近したことを避けるためにとったものであります。

そのことは、石川が安藤医師の診察を受けるに際して、問診書に、「トラブルで、左顎に相手の肘がぶつかった」と記載していること。また被告人の右ひじが石川に当たった程度のごくわずかなことであり、そのことは安藤医師の診察の結果からも一致しているものであります。

次に怪我の程度について述べたいと思います。石川は1月16日に診察を受け、1月21日に再診をしています。1月23日は、受診してますが特に診察したわけではなく、単に三島病院の紹介状を持って帰っただけであります。そして最後は2月5日の診察であります。合計3回の受診をしておりますが、まず初診日には左頬部にごく軽度の腫脹があり、ごくごく少しだけの腫れがあったにすぎません。

これに対して安藤医師は冷やすことを指示をしましたが、病院で冷やす処置もしておりませんし、その場ですぐに何かをする必要性を感じなかったというものであります。または首については、左の首のところに引っかかり感が出たという、石川の説明の記載はしてありますが、安藤医師は、首については何もしてないわけでありますし、指示も与えていない、また、レントゲンをとる必要もなかったということです。

このような状態ですから安藤医師は、次にまた再診しなさいと指示をしていないで終了しているものであります。

次が1月21日の診断ですけど、このときには左ほほの腫れはなくなっている。首については、レントゲンを取りましたが、椎間板5番と6番の狭小化があるとのことです。しかし、この狭小化は以前からのものであります。そして、最後の2月5日ですけれども、このときにはなぜか目のことが訊かれていて目のことについては安藤医師も本件とは関係ないんじゃないかということを言っています。で、頸部については筋の緊張がやや亢進している状態であるがこれでよいという判断をしてこれということになっているものにすぎません。診断書では、全治3週間ということになっておりますが、これは、診断書に全治3週間を追加してもらいたいと申し出があったとのことで、6月6日にわざわざ追記したものであります。また、全治3週間というのは、頸部捻挫を念頭に置いているものだと安藤医師は言います。しかし、頸部捻挫については、もともと石川の首には狭小化があったところですし、それから小指のしびれも訴えていたものであります。従いまして首の状態については、本件のトラブルとの因果関係は不明でありますから、頸部捻挫を念頭に置いて治療期間を判断することはできないのであります。なによりも安藤医師による治療経過を見ても、ごくごく少しだけの腫れが左ほほにあって、それを氷で冷やしてくださいという指示をしただけであります。

このことは肘がぶつかったという、石川の説明や被告人の説明と合致しているものであってこの点も安藤医師は、認めているのであります。ですから検察官は先ほど被告人の行動について、「接近戦で最も強力で、破壊力のある空手の技である肘打ちで殴りつけ、それが被害者の左顔面にまともに命中した。きわめて危険で悪質な犯行である。」こういうことは一切ないということは安藤医師の治療経過からも明らかであります。

で、安藤医師だけなく、現場に臨場した警察官も、報告書には「けがは無い」という記載しています。または、トラブルが収まった後で、石川の顔や口などを診た星田教諭によれば、右を見ても左を見ても、口の中は切れてないということでした。で腫れているかと訊かれて、「ふだんからポッチャリしとるから分からん。」そういう程度のものであります。翌日においても石川は「湿布薬などは冷たいから要らん。」そういうことを言っていたわけであります。このように、石川の左ほほの状態からは伊藤らの証言する肘打ち行為は全く整合しないということは明らかであります。

次に録音のであります。ので、本件のトラブルがあった1月16日午後3時以降については、録音があり、それを本法廷にも提出してあるところです。ところが石川らは、本件のトラブルの経過について、「被告人が、石川を殴った後で、石川が職員室にいったん帰り、その後被告人が廊下で壁を叩くなど暴れて、さらに石川が再び廊下に出てきた。そういう経過も含めて、トラブル全体の時間は、10分から15分ぐらいであったという証言をしている。それなのに、録音データにはその経過が録音されてないから、録音データの方には編集や加工がされている。」

また、検察官もそれに乗っかかって、「録音データは加工がある」と主張されている。しかし、検察官の手元には、差し押さえによって、その部分を含めて、当日の長時間にわたる録音が2つあるということを自ら認めている。もし本当に、加工した部分があるのであれば、検察官の方が、具体的にこういう部分があるよと、指摘できるはずでありますけれども、それを一切しないで、単に加工があると誹謗するだけであります。またそもそも私達が出した録音では、チャイムからチャイムまですべてが録音されており、改ざんがないということは明らかであります。さて、この録音の中で、何があったか? 本宮の「殴ったやろ?」という声から石川の「これは効いたよ。」という声までの間に、石川は、普通に発言して普通に被告人とやりとりをしている。決して頭の中が真っ白になったというようなことは無いのです。また、周りにいた教諭らも、誰一人として被告人を抑えようとしてない。本件で取り押さえられたのは、伊藤であります。このような録音の内容からしても、被告人の説明を裏付けているものであります。

そこで、再度、伊藤らの証言について検証してみたいと思います。伊藤の証言によれば、右ひじが肩の上まで上がり、斜め上から斜め下に振りおろし、そういう動きをしたということで、再現をして見せました。この場合、肘打ちですから、被告人と石川との間の距離は、大変重要な点になります。石川と被告人との距離について、石川は警察での捜査段階では60センチぐらいだったと、供述していましたが、法廷では50センチになりました。伊藤の証言では、48センチ。本宮の証言では、28センチ。だんだんと、距離が近くなっている。肘打ちが当たるような距離になっているのは明らかであります。ところが、伊藤の証言の態度を見て、肘の打ちおろしによって、石川の顔面にあたることを確認しましたが、その際には、石川が、顔を前に倒して、被告人に近づけないとあたらなかったのであります。石川が、まっすぐ立っている状態では、肘は届かなかったのです。そのことがこの法廷で明確に示された。ところが、石川は、自らの証言で「被告人を押してない」と繰り返してきましたので、まっすぐ立っていたというふうに、証言をしております。そうすれば、伊藤のこの証言によって肘打ちが当たらないことははっきりとしたわけです。また、肘が肩まで上がれば、真正面から対峙している石川に見えないはずは無いのであります。ところが石川は「これを見ていない」と証言しています。このように、伊藤の証言による肘打ち行為は、石川の証言と明らかに矛盾しておりますし、事実でないことは、言うまでもありません。

なお1点、被告人は、空手の経験者です。しかし、伊藤が再現をしてみせた肘打ち、これについては、まったく経験のない、ということを明確にしております。また検察官は、被告人が空手の有段者であるということを強く印象づけようとしています。これはこれまでの被告人たちの証言に、繰り返し訊いていることからも明らかであります。これは本当に不思議ですが、何の証拠もない。この証言の中でそういうことは一切出ていないのです。しかるに、検察官は、これをやろうとしていたのであります。もし本当に、伊藤の証言のように、肘を打ちおろし、石川の首が右へねじれるようなことがあれば、また石川の証言のように、目の前が真っ白になるような事実があれば、それはまさしく検察官が先ほど述べた、大変危険な行為が、まともに顔面に当たった、そういうことでありますが、これは、先ほど言いましたように、安藤医師の診療録の治療とは全く合致しないのであります。そうすれば、伊藤の証言などは、後から、肘打ちや負傷の点を持ちだすためにでっち上げたというしかないのであります。そもそも、本件のトラブルは、刑事事件として立件されるような事件性は全くなかったのであります。本件については、警察に通報されてパトカーが来場して、事情聴取がなされました。校長や教頭などの説明を受けた警察官は、現場臨場報告書に事件性なしと、印をつけて書いてそうしているわけです。決して事件となるようなものではなかったのです。

ただここでも、一点指摘しておきたいのは、現場臨場報告書の改ざんの問題です。現場で作成をした警察官は、事件性なしの欄にチェックをつけていたわけですけれども、これを訂正印もなく二重線で抹消し、保留の欄に印を付けた。そういうことが行われていることがこの法廷で初めて明らかにされた。井原警察官は、いったん提出した報告書が後から書き換えられることは無いということを証言しておりますので、この書き換えというものは誰かが改ざんした疑いが濃厚であります。

次に、検察官が言うのは、被告人の夫婦間の会話であります。被告人は、被告人の妻との間で1月16日のトラブルのあとで、自宅の2階で寝ていて、そして妻にも1月16日の状況について説明をしています。確かにそのなかで、被告人は妻に対して、「当たったんではない。当てたんよ」という話をしております。しかし、被告人はあくまでも当たったという表現をしております。けっして殴ったという表現は使ってないのであります。またこのときの会話を聞けば、被告人の妻が、冗談を言っているということは明らかです。被告人の発言は、学校の幹部教師らから、パワーハラスメントを受けて、ついに警察問題にまでされてしまった。そういう被告人の精一杯の強がりを見せたものにすぎません。そのような発言で、被告人の傷害は立証されたとは到底言えないのであります。このように、

伊藤らの証言する肘打ちはなかったのであります。本件は端に、相談室に入れようとして、腹や胸で被告人を押して来る石川を避けようとして、被告人が、両手を回したときに、たまたま左ひじの内側が石川の顔面に当たったものにすぎないのでありますので、公訴事実の傷害については無罪であります。

 

次に、名誉棄損について述べたいと思います。名誉棄損については、被告人が、認めているところであります。しかし大切なところは、被告人側が名誉棄損に至った事情であります。それは、被告人が受けてきたパワーハラスメント、これに対する四国中央市教育委員会の対応、そして、本件の1月16日のトラブルの原因、その後の学校の対応、それによる被告人の体調の悪化などを検討しなければならないのは言うまでもありません。

まず第1番目の被告人が受けてきたのはパワーハラスメントの内容です。先ほども言いましたように、被告人は大変教育熱心な教師です。本件のトラブルの前にも三平方の授業の証明など工夫を凝らした授業を準備していたところです。ところが、平成17年にうつ病を発症し休職し18年には復職しましたが、学校側の配慮も受けて校務分掌を担当せずティームティーチングの副を担当する、そういうことでおりました。ところが、土居中学校への転勤直前の3月には突発性難聴となり入院し、体温調整ができない状態にありました。その状態のままで、土居中学校に異動になったわけであります。土居中学校の対応がどうだったかということであります。

被告人は、4月2日には自己の体調を説明し、体調がひどい状態になっても、横になることさえできれば落ち着く事が出来るので、横になるところを欲しいということを求めましたが、校長らは何も対応しませんでした。4月26日の授業についての打ち合わせにおいても、被告人が自分の体調が悪くなってそのことを配慮してもらおうと考えて、「しんどい子供が居ったらその子を放っとかんでしょ?同和教育いうたらそういうことなんでしょう?」と言ったことに対して、篠崎教頭と高橋恭敬教務主任が、「同和教育とは違うんだ。」と言って椅子を蹴って立ちあがり、いきなり大声で怒鳴ったのであります。

そして6月1日には、村上校長や篠崎教頭は、被告人ではなくて、被告人の妻を通じて、授業以外は病休にするように指示をしたのです。これは決して、被告人の体調を配慮したことではありません。単に外部に対して説明するだけなのです。授業だけ勤務してそれ以外は病休にしてもらっとったら地域保護者たちに都合がいい。「今河村先生は病休で家に帰っている。」そういう説明がしやすい。そういうことで、病休にするように指示したのです。

しかも、病休するように指示したうえに、校長は、「ウロウロするな、病休にしとんじゃきん学校に来たらあかん。」学校に来ることさえも禁止したのであります。そして、学校で必要な情報を被告人に渡さないのです。伊藤学年主任は、3年生の学年主任でありますけれども、3年の情報を渡しませんでしたし、同じ数学を担当している本宮同和主任、高橋恭敬教務主任はテストを作ってもその情報を被告人に渡さなかったのです。被告人の妻は、校長に対して、そういう声をかけて欲しいとか、情報を渡して欲しいと、いろいろお願いしてきましたけれども、何も対応してくれない。

学校から、排除されて1学期中は、授業時間以外は病休にされ、給食も、学校内でとれず、2学期になって、勤務時間がようやく少し認められるようになってきたためもあったけども、やはり車の中でお弁当を食べる。そんな状態でした。

篠崎教頭は、星田教諭に対して、「被告人が保健室に来たらいつ来たか自分に知らせろ。子供となるべく会わさないように」そういうふうに指示をした。伊藤学年主任は、学年の朝会において、「河村先生にやめてもらいたい人は手を挙げて」って、そんなことを言っている。高橋恭敬教務主任は、被告人に向かって、「いねいね病気のやつは」そう言った。篠崎教頭や伊藤学年主任のランチルーム(更衣室ですよ)で、「私立の高校の面接が近いから、その面接の練習に河村を出せ。立たせたらえんじゃ。」ということを言った。これは、寒い中では、体温調整の難しい被告人への嫌がらせです。そういうことなんです。石川生徒指導主事についても、人権集会のときに、体調不良で図書館で休んでいる被告人に対して、「先生そこ動くなよ。不審者見回りよるんじゃきん」ということを言っている。

こういうようなパワーハラスメントを受けて、なんの改善もないのです。被告人と妻は、教育委員会に対して、救済のお願いとする文書を持っていっているわけです。ところが、この教育委員会も、河村次長によれば、「その文書に対して具体的なことをしたか、私もあまり覚えてないんです。」こういうことを平気で言うわけです。ただ、河村次長も、この法廷においては、授業時間以外は病休扱いにされたとは思っていない。授業時間外でも、出勤でよいと思ってる。土居中学校で授業時間以外を病休にすることは間違っている。こういうことをこの法廷で発言します。もしこの発言を6月1日のときや救済の申し出の時に、被告人に話をして、村上校長らに対して指導しとれば、本件に至ることは全くなかったのであります。

 

次に、1月16日のトラブルのことにです。これについては先ほども述べましたように、3年生の男子生徒を連れ出そうとしたことであります。本件は、被告人と、石川教諭あるいは、伊藤さんの間で、個人的なトラブルがあるわけではありません。なぜ中学校の教師間で、保健室の生徒が合唱練習に行くか行かないかで、こんなトラブルになるかということです。通常の学校では考えられないということです。それは、この3年生の状況が示していることです。

3年生は、生徒からいじめを受けて教室に行くことができなかった。そこで、伊藤学年主任、本宮同和主任、高橋恭敬教務主任らに相談したんだけども、逆に「お前が何かしたから、そういうことを言われて始めたんだろう。何をしたか、正直に言うとけ。あとでわかったこらえんぞ。」そういうことを生徒に言って、生徒の苦しみも認めようとしなかったのです。それでも3年の生徒は、いじめを避けて、何とか保健室に登校しようとしていたのです。それを篠崎教頭や伊藤学年主任、高橋恭敬教務主任、本宮同和主任らが、教室に行くようにと、執拗に言った。そのために、辛くて、ついには、転校することを決意したのです。

3年生の1月の時期と言うのは、高校受験の真っ最中であって、人生のかけがえのない時期です。いじめからの生徒を守るのではなくて、転校に追いやった幹部教師らの責任は重大です。ところが、伊藤学年主任は、「本件のトラブルは、生徒が原因であると分かりません。転校の理由も知りません。」そういう証言をしました。篠崎教頭はさすがに、「子供のつらい思いと子供が思ったんだったらそうかもしません。」と言いましたけれども、肝心の生徒の作文を読んでいないんです。村上校長も、「生徒とは直接話をしていないので、具体的には聞いていません。」そういうことです。委員会の河村次長も同じです。保健室に居た生徒のことが問題で、トラブルに発展したことを認めながら、「どこに問題があったのか、そこまでは分析しておりません。」そういう話でした。伊藤らが、3年生の生徒のいじめの問題に、真剣に対応せず、逆に、精神的に追い込み、転校を余儀なくさせたことを一切認めない。このことが本件の大きな問題であります。そしてそれをいまだに認めようとしない。その態度が本件の問題であります。

 

1月17日に、教育委員会で事情聴取がありました。そのときにも、今言ったトラブルの原因を考えるんじゃなくて、河村次長は、被告人に対して、「生徒と話をするときには、学年主任の許可を得てから話をしないからいかんのや」と。また校長は、「事件が解決せんかったら、学校へ出てきたらいかん。」そういうことを言った。河村次長が言う《学年主任》いうのは伊藤さんのことです。先ほど言ったように、朝の朝会で「被告人をやめさせたい者は手を挙げい。」そういうことを言ったり、被告人が生徒と話をしていたら割って入って引き離そうとする。そういう学年主任の許可を取れと言ったり、解決するまで学校に出勤したらいけない、そういうことを言われたわけですから、被告人がどれほどの影響を受けたかということは明らかです。

そういう対応だったですけれども、1月24日に、3年生の生徒の祖母が学校に来て、被告人に会いに来た。そして被告人が学校に来れない状態になっていることをその時知った。このことがあって学校側も、双方が謝罪し合って事件を終わりにすることにしたんです。翌日の1月25日には、河村次長が被告人の妻に、その連絡をしている。河村次長さんは、「やっぱり問題が発生したことを考えると、やはり双方で意見の食い違いがあったために起こったことなんです。双方で謝罪ということを考えたわけなんです。」説明した。河村次長は意見の違いという表現をしましたが、本件のトラブルは、3年生の生徒のことであって、3年生の生徒については、学校側に落ち度があったことは明らかです。

ところがこの双方が謝罪し合って事件を解決する、終わりにする、そういうことができなかったばかりか、2月になると、学校側が、この問題を暴力事件として一方的に生徒に、説明する事態に及んだ。これがますます本件を、複雑にしたんです。教育委員会の方は、2月になると、被告人が学校に復帰できるように、被告人の妻、学校側、それから教育委員会、3者で話し合いを持つように提案した。その場において、村上校長は何を言ったか。「河村は石川さんを殴った。その音を聞いた生徒がいる。大変なことだ。そのことを生徒にも説明をしてるから、学校に来てもらったら、やっぱり困る。」そういうことを言った。学校側が作成した『河村卓哉教諭の指導について』という資料の中でも、「石川先生の左ほほを右ひじで殴打した。バキッという鈍い音がした。」ということまで書いてある。

ところが、村上校長はこの法廷では、「2月14日のこの話し合いの内容をあまり覚えてない。来てもらったら困るという話をしてません。生徒に対する説明も、暴力事件という言い方かどうかはちょっと覚えてない。」という説明です。河村次長も同様に、「この《困る》ということがあったかどうかそのあたりは覚えてません。で、村上校長が石川さんの側の説明経過で、説明したかどうかも十分記憶してません。」そういうようなことです。ただそれでも、河村次長は、公平を期すのであれば、生徒に対して、石川さん側と、被告人側の両方の説明を、すべきであること自体は認めた。このように、校長から言われたことが、非常に重要である。

そのことについて、被告人の妻が、わかるわけがありません。被告人の妻は校長の話を聞いて、「これは間違った方向に進んでいくのではないか」と、心配をして、やむなく法務局のほうに、人権救済を申し立てをしているわけです。このように、2月になって、校長は暴力事件として、生徒に一方的に説明し、事実とは違うストーリーを作り上げられて、被告人だけが悪者にされていったんであります。これに対して被告人は、出勤も禁止され、何も発言することが、できなかった状態に居たわけであります。

 

さて問題は、本件の名誉棄損のインターネットの書き込みの問題についてです。まず最初におさえておかなければいけないのは、このサイトの開始です。これは、本件が、2008年、平成20年1月ですけれども、その1年前の2007年、平成19年1月29日に始まったものであって、被告人とは全く関係ありません。このサイトでは早い段階から、学校のことが書かれています。21番。これは2007年の3月5日ですけども、ここですでに現役中学生、土居中生の、「先生と闘ってます。」3月15日には、「1年前に卒業したけど、あの学校は何もかもクソだ。特に先公。同和問題学習という意味不明の授業のせいで、まともな授業時数が減った。学力向上強化学校に選ばれるほどの低レベルな学校だ。汚点がありすぎて書ききれない。母校として誇れない。というより認めたくない。」という書き込みです。しかし他方ではですねえ。1月26日ですけれども、「そんなに同和問題学習が嫌ならいじめのひどい学校へ転校すればいい。もっと自分がお世話になっていた学校なんやけん、愚痴ばかり書かずにええとこ書こうや。」8月7日には、「何か同和教育に対して軽率なことを書いていた人がいたけれど、同和教育があってこその土居中だと思う私は同和教育はこんなにできて楽しいんだけど。」という風に評価をしている意見も書かれている。

だから、このサイトというのは、両方の意見があるのであります。なお、この同和教育の問題については、2000平成20年10月に愛媛県教育委員会の教育事務所と、四国中央市が学校訪問をしてるということ自体は明らかです。また、教育委員会の河村次長は、このネットについて、保護者からの苦情はなかったとの証言をしていることがあります。

しかし、篠崎教頭は、このサイトとまごころ教育を関連付けようとして意見を述べております。ところがこのサイトにおいても、まごころ教育のことを書かれたのは、2008年の2月28日です。だから事件が1月16日ですから、1カ月半、2月28日に何が書かれたかというと「まごころ教育で検索したら、トップで出てくるで。」というふうに書き込みがあったと。

でこの、なぜこういう書き込みがあったかというと、2007年の12月20日に「先生たちは差別するなというけど、実際職員室では障害のある先生がはせられている。同級生ならこのことが分かると思う。」という書き込みがあって、「俺知っとる。仲間づくりせえとか言っときながら、自分たちが1番できてないものね。矛盾しすぎとるだろう。」という書き込みがある。で、これに対して、「それほどですか?よかったら、詳しく聴かせてください。」という書き込みがあったので、2月28日に今言ったまごころ教育のことが書かれた。

だから、このサイトとまごころ教育のサイトは2月28日以降です。で、このサイトは先程言いましたように、土居中のあり方の問題、特に同和教育についての意見が双方からいた。

ところが3月12日からは意味のない記号や漢字をむやみに繰り返すだけの妨害が始まります。これは明らかな妨害です。それを受けて被告人は初めて、3月12日に「勤務時間中にこういうことをしては処罰ものですよ。管理責任者に書きこんだのは誰なのか調べていただく必要があります。」という風に書きこんだ。これが初めてです。だからこれは妨害をする書き込みが出たので、それをやめさせようとしただけであります。

このサイトについては、被告人に対する誹謗もたくさん書かれています。3月23日には「誰かと思えば、A教諭。以前は授業もせず給料だけとってたあいつのことやろ。」4月13日については、「そらそうやろ。あいつ土居中に恨み持っとるやろ。日本一の大うそつき星田。ある政党の組合とつるんで、毎日パソコンにかじりついてこんなことやっとるんじゃない?」7月13日「河×のクソジジイ。ボケ。アホ。」そういうことがずっと続いています。こういう風に土居中学校のあり方についての意見を妨害するために、いわゆるサイト荒らしは続いた。

本件は5月になってからのものであります。その間の被告人の体調はどうかというと、先程言いましたように、1月17日の事情聴取のさいに河村次長や村上校長は、告人に出勤を禁じて、そのことによって被告人の体調は悪化し、病院で治療を始めた。薬の量も増えて、家族からは入院させようとするほどのことをを求める。そういう状態にまでなりました。学校についても、出勤できず、4月には三島南中学校に転勤になりましたけれども、三島南中学校でも出勤できず、5月からは休職になる。病状は特にひどくて、自殺願望まで出ていたわけです。主治医からは外部との接触を避けるように指示をされていたわけです。そういう状態のなかで本件が起きていたわけであります。

このように名誉棄損事件というのは、平成19年4月からパワーハラスメントを受け、教育委員会に救済のお願いをしても改善をしない中で、3年生の生徒の転校問題をきっかけにトラブルが発生して、そのトラブルも本来は1月中に双方が謝罪し合って解決するはずだったにもかかわらず、2月になると校長は暴力事件であると生徒には一方的に説明した。しかも、被告人には学校に来ることを断る。卒業生や、現役生のサイトについても3月ごろからは明確な妨害行為が始まっていた。他方で被告人の体調は悪化して1月17日からは出勤できず、土居中から転勤したものの、5月からは、休職に追い込まれた。自殺願望が出るほどに至ったわけです。そういう時5月5日。6日、23日、本件の名誉棄損の書き込みに至ったものであります。

こういう状況を見れば、本件の名誉棄損事件について、確かに被告人の責任は重大でありますけれども、他方で、被告人のみがその責任を負うべきものではないということは明らかだと思います。それは、3年生の生徒から見れば明らかではないでしょうか。被告人を排除しようとパワーハラスメントを続けて、1月16日のトラブルを暴力事件と一方的に説明してきた幹部教師らに、被告人から救済のお願いさせているにも関わらず何の対処もせずに、1月16日の問題の原因である3年生の生徒の状況さえも把握しようとしなかった四国中央市教育委員会にも、その責任のあることは明らかであると思います。

ところが、幹部教師たちはもちろん、四国中央市教育委員会の誰一人として、その責任を問われているわけではありません。校長は、定年退職して訪問相談員も務め、他の幹部教師らは転勤になっただけにすぎません。被告人だけが、教育の資格を失う、そういう状態にあります。

また、本件の量刑を考える上では、まず第一に、3年生の生徒などの学校の生徒の視点で考えるべきであるというふうに思います。3年の生徒たちは、被告人が、教育の資格を失うことを決して望んでいるわけではありません。

被告人は、名誉棄損事件については本当に反省をしております。真剣に反省をしていますので、再犯のおそれはありません。被告人は、自らが、病気になったことで、弱い立場の先生にも目が向くようになったということを法廷で述べました。本件のことについては、教師として、許されることではありませんけれども、この反省を踏まえて、被告人が、教師としての資質をさらに高める方向へ広げていってくれることはかたく信じることができると思っております。ついては被告人に対して、執行猶予ではなくて、罰金刑に処せられるように、強く要望して、私の弁論を終わります

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