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土居中事件

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次に、メンタルヘルスとパワーハラスメントについて検証してみたいと思います。

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、新しい土居中学校になったわけですけども、何か不安とかそういうものはありませんでしたか。

土居中のことは全く知らなかったんで、学校についての不安というのはなかったんですが、3月の20日から10日間、突発性難聴で入院してまして、その間に体がもう自律神経がものすごい状態になっていましたので、そっちのほうでやっていけるかどうかという不安がありました。

弁護Mうつ病の病気と突発性難聴自律神経の不調、これは全く別物なんですか。

突発性難聴は、ストレスからくるそうですけど、別物です。で、自律神経失調症はうつ病の影響でなったそうです。

弁護M:それで、そういう突発性難聴とか自律神経の失調ということで、このときは入院もされたんですか。

はい、突発性難聴で10日間入院しました。

弁護M:それから、さっきのうつ病のことを聞くのを忘れたんですけど、これはどちらかの病院にかかられているんですか。

今現在。

弁護M:その当時です。

当時、はい。当時は大阪の山本クリニックにかかっていました。

弁護M:これは通院だけだったんですか。

はい、通院です。

弁護M:それで、3月に10日間入院をして、それで土居中学校に転勤になったという経過ですか。

そうです。

弁護M:入院して、退院してるわけですけども、体調はどうでしたか。

もう本当に最悪でした体温調整が利かなくて、もうちょっとした空気が動くのを感じただけでも、もう体が冷たくなっていくという状態で、また、もうどういう拍子かで汗をばあっとかき出すんです。もうそういう状態で、本当に最悪の状態でした。

弁護M:そういうご自身の体調については、学校側に説明をされましたか。

はい。4月2日に辞令をもらいに行ったときに説明しました

弁護M:それから、教育委員会にはそれは伝えているんですか。

直接教育委員会に伝えに行ったということはないんですけど、前の学校で時間休を取りながら苦労してやっていましたので、ある程度のことは知っていただいていると思っていました。

弁護M:そしたら、今の平成19年4月の体調について、直接教育委員会には言ってはいなかったということでいいですか。

はい。

 

 

さて、冬になったらお年寄りが大勢なくなるとニュースで聞きますが、あれは、体温調整がうまくいかなくて亡くなるのが多いんだそうです。

冬山の登山でも、体温が低下して亡くなる事故があります。

このように体温の調節が効かないというのは、非常に厳しい状態だということです。

体温調整が利かなくて、もうちょっとした空気が動くのを感じただけでも、もう体が冷たくなっていくという状態で、また、もうどういう拍子かで汗をばあっとかき出すんです

ちょっと空気が動くだけでも体が冷たくなっていく。とてもこれでは日常生活が困難でしょう。私たちは考えますが、それなら、とにかく厚着をして体温を逃がさないようにしてはどうか、と思います。けれども、篠崎良治教頭はそれを禁じています。

また、突然汗が出てくると、当然熱を失いますからまたまた体温が低下することになります。

非常に厄介な症状です。

続けて河村卓哉教諭の証言を見てみましょう。

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、4月2日に学校側に説明しましたけども、学校側の反応というんですか、対応はどうでしたか

まず、村上正哲校長に言ったんですが、「その場では何とも決めれない」という、そういう感じでした。

そのとき、もうとにかく、自分としては自律訓練法をマスターしていたと思うんです。で、どんなに体がひどい状態になっても、一応体を横にして自律訓練をしたら、体が落ち着くという段階になっていましたので、

「横になれるところが欲しい」と言ったんですけど、すぐにどうこうできるというような、そういうのはありませんでした。

弁護M:自律訓練法でしばらく横になっていると、状態が良くなるということですか。

はい、そうです。

弁護M:それで、横になるところですけど、保健室のベッドがあるので、保健室を利用するようなことは、話に出なかったんですか。

はい、出ませんでした。その次の日あたりに、「やっぱりそういう場所はない」と、はっきり言われました。

弁護M:学校側からの指示がなくても、河村先生がその保健室を利用することはできなかったんですか。

初めのうちは、私自身が言われてないですから、保健室というのは生徒のものだと思ってますから、私が利用するということは余り考えてなかったということと、途中からは、もう何か保健室は見張られていて、利用できない場所だという、そういう感じでした。

弁護M:その見張られているというのは、どなたからなんですか。

最初に分かったのは校長なんです。星田先生とそれから、最初おられた伊藤純子先生と、それで私と3人がたまたま話をしていたことがあって、そこへだれかある先生が来られたんですけど、すぐに出ていった後、校長がやってきました。ふだん校長は来たりせんのにということで、えらく関係ないような話を長々とそこで突っ込んでやってきたということがあって、ああ、見張られているなというのを感じました。

 

 

ここで、とても重要なことが分かります。

自律訓練法をマスターしていたと思うんです。で、どんなに体がひどい状態になっても、一応体を横にして自律訓練をしたら、体が落ち着くという段階になっていましたので、

「横になれるところが欲しい」

河村卓哉教諭は《自律訓練法》をマスターしていたのですね。どんなに汗が出始めても、体温の低下が始まっても、静かに横になってこの《自律訓練法》を行えば、症状が落ち着くのですね。

それならば、土居中は何とかしてその場所を探して提案してあげるべきだったのではないでしょうか?

バリアフリーと言う言葉はもうすっかり社会に浸透しました。土居中学校の校舎には、段差なくエレベーターもあって車いすに対応していると聞きました。ひとつのバリアフリーですね。

今、「自律神経失調症」という、空気をバリアとする河村卓哉教諭が転勤してきた。症状は厳しいけれども、体を横にして自律訓練をしたら、体が落ち着くという段階になっている。

それならば、なんとしても、そのような体を横にして落ち着ける場所を見つけるべきではないでしょうか?

私たちは、土居中関係者に聞いて調べてみました。保健室でも相談室でもない場所で、そのような部屋はあるのです。

しかし、村上正哲元校長は「やっぱりそういう場所はない」と答えただけだったのです。

 

ここから、河村卓哉教諭の土居中学校での試練の道が始まります。

これは、河村卓哉教諭が平成19年7月に市教委へ提出した文書『土居中学校におけるパワーハラスメント 救済のお願い』を読むと詳細が分かります。それは、『まごころ教育』というサイトの復刻版に河村卓哉教諭に掲載されています。

 

しかし、ここでは、河村裁判の証言だけから、検証して言ってみます。

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それは体調の話ね。今度は授業のことについてはとうでしたか。

授業ですか。授業そのものは楽しかったです。本当に生徒と数年ぶりに教壇に立って授業ができたので、本当に生徒の反応も感想も良くて、楽しかったです。ただ、汗をかくんですね。それから体温が下がるというのがあったので、防寒着に身を固めてやっておりました。

弁護M:そうすると、授業自体はきちっとやれていたということでいいですか。

はい。

弁護M:それで、学校側のほうの対応ですけども、何か授業に関するとか、勤務対応に関して、何か指示はありましたか。

授業に対してというのは特にありませんでした。勤務対応というたらどんなものですか。

弁護M:例えば、授業以外の勤務時間について、こうしろ、ああしろとか、そういうことはありましたか。

はい。6月になってすぐぐらいですけど、授業以外はもうすべて病休にしなさいというふうに、妻を通じて言われました。

弁護M:それはどういうことなんですか。せっかく学校に勤務をしてるのに、授業時間以外は病休にしなさいというのは、それはどういうことを言ってるんですか。

私も意味が分かりません。主治医からも、少しずつ徐々にならしていきなさいと言われてたんですけど、全くその逆のことですし、病休も全部で3か月という限りがありますんで、それを全部取ってしまって、いきなり普通にやりなさいと言われても、それは多分できないから、休職になってしまうやろうなとも、その病気休暇を取れと言われた時点で、もうこれは退職に追いやる気じゃなという、そんな気がしていました。

 

 

防寒着を着て、授業は楽しくできていたのですね。

ところが土居中幹部のある指示によって、

もうこれは退職に追いやる気じゃな

という気持ちを抱かざるをえないところまで追い込まれてしまうのです。

それは、

授業以外はもうすべて病休にしなさい

と言う指示がだされたからです。

これは非常におかしい理不尽なもので、そもそもは、「病気なので1時間病休を取らせて下さい」と、本人が申告するべきものなのです。

ところが、上からそれを指示しているのです。

 

河村卓哉教諭は、主治医から、徐々に馴らしていくように、すなわち勤務時間も徐々に増やしていくように言われているのに、

全くその逆のこと

を命令されたと感じています。

河村卓哉教諭はそれにはあるきっかけがあった、と証言します。

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:退職まで追いやるというところまでの気持ちになったというのが、なかなか病休を指示されたことだけでは出ないんだけども、それ以外にも何かトラブルはあったんですか。

やっぱり、4月10日、最初のトラブルがあって、病休を取るつもりはなかったんですけど、そこで2週間病体を取るようになって、次、5月を明けて2日から授業がありますんで、

その打合せに4月26日に学校に行ったんです。妻と一緒に行きました。そのときに、体調は、体が冷えて冷えてたまらんので、10分以上おれないぐらいの感じだったんですけど、長々と説明されるんで、私、言ったんです。

「学級経営でもそうでしょう、とてもしんどい生徒がおったら、その子をほうっておかんでしょう。同和教育いうたら、そんなでしょう。」と言ったんです。

そうすると、篠崎良治教頭と、それから高橋恭敬教務主任が、いすを蹴って立ち上がって、

同和教育はそんなもんじやない。と言いました。

で、そのとき私ももうかなりしんどかったんで、おらび合いになったんですけど、それで、もうこれは目を付けられたなという感じがありました。

 

 

4月26日も体調は非常に悪くて、

体が冷えて冷えてたまらん

10分居れるかどうかといった状態で校長室へ行った。

しかし、次重要です。土居中側(篠崎良治教頭なのです)は、

長々と説明される

普通、「体長はどうですか?どのくらいの時間大丈夫ですか?」位は聞くでしょう。つまり、相手に心をまず寄せて、相手の体調がどんなか把握したうえで、次の行動を選択するでしょう。

しかし、篠崎良治教頭には、そんな配慮はちっともなかったのですね。ただ、苦しむ河村卓哉教諭を目の前にして長々と何かの説明を続けたということです。

しかも、それだけではありません。あまりしんどいから、河村卓哉教諭が訴えたわけです。

 

「学級経営でもそうでしょう、とてもしんどい生徒がおったら、その子をほうっておかんでしょう。同和教育いうたら、そんなでしょう。」

 

と。それに対して、篠崎良治教頭と高橋恭敬教諭は

 

「同和教育はそんなもんじやない。」

 

そしておらび合いになったということです。

 

 

では、篠崎良治教頭と高橋恭敬教諭の証言を見てみましょう。

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、この河村先生の書いた文書によれば、まず、自分の体調が寒くて、それで、321日からも、突発性難聴で、331日まで入院をして、それで、何とか4月から転勤をするようになって、自分がいかに苦しいか、先ほどあなたも主尋問で言いましたけども、体温調整もできない、それから、すぐに異常発汗をして、体の調子が悪いから、横になって、自律訓練法をすると、少しは落ち着く、そういう体の病状についての話があったでしょう。

はい。

弁護M:河村先生からすると、そういうことで、配慮してもらいたいということでお願いをしたところ、平成194月26日、河村先生が自分の病状について配慮をすることに関して、同和教育という言葉を出して説明をしましたか。

覚えてませんね。

弁護M:その同和教育という言葉を出したことに対して、あなたと恭敬教務が怒り出したんではありませんか。

・・・4月26日ですか。授業をするに当たっての打合せですかね。打合せですか。

弁護M:そうです。そのときにね。恭敬さんがおるんだから、教務主任の恭敬さんがおるから、授業に関する話をしよる。そのときに、河村先生が、自分の体調を訴えてる、これについて、学校側でも配慮してもらいたい、それは、土居中学校が取り組んできた同和教育と同じことじやないですかと、そういう発言をしたところ、

あなたと恭敬さんは「同和教育はそんなことではないんだ。」と言って、立ち上がって怒ったんではありませんか。

話の前後がよく分かりません。

 

 

篠崎良治教頭は、この426日のことを「覚えてませんね」と言って済ませようとするのです。

覚えてないはずがないのです。

例によって、かれの「覚えてません」はイコール「ハイ」と見たらいいでしょう。

この「覚えてませんね」の連発をさらにご覧ください。

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:この土居中学校のパワーハラスメントについては、河村さん本人も文書を作成してるし、奥さんも文書を作成してるんですけども、奥さんは、これは6月4日の月曜日のところで、奥さんは校長先生に、主人に声をかけてほしい、職員会議、資料など、最低限のことを教えてほしい、それから、6月25日の月曜日には、奥さんが校長に対して、無視するのはやめてほしいと、そういうような申し入れをしておりませんか。

覚えてません。

弁護M:今言われてる、覚えてませんというのは、奥さんが、校長に、今言った、声をかけてほしいとか、無視をしないでほしいというような申入れがあったかどうかも覚えてないと言うんですか。

覚えてませんね。

弁護M:あなたのほうは覚えてないと言われる、そうすると、奥さん側がどういう気持ちで、その言葉、答えというか、覚えてない、それを受け取ると思いますか。

・・・・・・。

 

 

なぜ篠崎良治教頭がこうまで「覚えてない」を連発しなければならないか。

それは、

彼が中心になって、河村卓哉教諭への嫌がらせを指示していた

からです。

篠崎良治教頭は、4月3日に河村教諭が毛布を職員室でかぶっていたのを見て、早速、県教委や教育事務所に、市民を装ったものが「苦情」の電話を入れる、という演出を行っています。

彼は、前にも指摘しましたが後で突かれると困るので、決して自分が表に立って事をなそうとはしません。代わりに人を使うのです。この県教委や教育事務所への電話と言うのも、彼の指示で何者かが電話したことが、疑われます。

次に、篠崎良治教頭が河村卓哉教諭に「うろうろするな」とか「ヤッケを着るのをやめろ」というのを直接言わずに、県教委や教育事務所への市民を装ったものによる「苦情」の電話という形で行った工作への追及を見てみましょう。

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それも校長に聞いてみましょう。それから、河村先生が転勤したときに、自分の病状の説明をして、いろいろ配慮してほしいと、それで、学校側が配慮したのは、授業以外の公務に就けなかったと、そういうことでしたか。

そうです。

弁護M:それで、教頭であるあなたは、河村先生に、「学校の中でうろうろするな、うろうろすると、子供が不安がったり怖がったりするから、困るから、うろうろするな」、そういう指導をしましたか。

指導は一切しておりません。

弁護M:でも、奥さんを通じて、うろうろせんようにしなさいと言いませんでしたか。

言ってません。

弁護M:これは、6月1日だから、平成19年6月1日金曜日の朝、教育委員会の次長さん、これは河村さんだろうな、河村次長さん、それから、校長さん、教頭さん、その3人と、校長室で話合いをしたときに、今私が言ったように、廊下をうろうろすると子供ら不安がるから、うろうろするな。そういうことを言っていませんか。

言ってないと思いますが。

弁護M:それから、河村先生は体温調整ができないので、異常に寒がったり、暑がったり、汗をかくとか、そのために、服の下にヤッケを着たり、それから、カイロを張る、そういうこともやめるように言いませんでしたか。

それは、県教委や東予教育事務所、市教委に、そういう格好をしている先生がいると、自殺願望のようなことを話した先生がいるということで、数本の苦情電話があったということで、事務所からもありました。その中で、今授業ができているので、できれば、そういうふうな格好をしているんですけども、目立たないようにしたほうがいいんじゃないんですか、というようなことは言った記憶があります。

弁護M:そういうことで、保護者の意見ということを理由に挙げるんだけども、本当に、保護者から意見が出ていたんですか。

東予教育事務所の武田管理官から直接校長に電話がありまして、そういう苦情の電話が数件、県教委にもかかっているから、どういう勤務実態であったかということも含めて、知らせなさいということはありました。

弁護M:保護者からの意見が愛媛県の教育事務所にありましたということですね。

県の教育事務所、東予教育事務所、当時は、西条教育事務所にあったと思います。市教委をこもあったと思います。

弁護M肝心の土居中学校にはあったんですか。

ありました。

弁護M:なぜ言わないんですか!?それを。初めて聞くよ、私、そういう話。

土居中学校にもありましたというのは、言ってますよ、市教委には。

弁護M:私、いろいろ記録を読んでるけども、土居中学校そのものに保護者からの苦情が来たというのは初めて聞いたんだけども、それはいつごろのことですか。

それは同時期だと思いますね。

弁護M:同時期というのはいつですか。

その、武田管理官から電話があった時期だと思います。

弁護M:だから、いつなの。

武田管理官から電話があった時期は覚えていますが、何月かというのは覚えておりません。

弁護M:だから、今言ってるように、学校にもあったし、教育委員会にもあったということを、同時期と言われたんだけど、まず、学校にあったら、大変な問題だから、覚えておるでしょう。

それは、私は、対応しました。授業をしっかりしてくれているからということを言いました。

弁護M:今、私が聞いてるのは、学校に直接保護者から連絡があれば、それは大変なことだから、あなたも記憶があるでしょうという質問をしたんです。

だから、土居中学校にありましたと。

弁護M:だから、それはいつごろですかという質問です。

だから、武田管理官が電話があったと同じころです。

弁護M:裁判長、これは、堂々巡りの回答をわざとしてると思いますよ、これは。

 

熱田裁判長

裁判長:同じことを聞いてるから。

 

弁護人M

弁護M:だから、それは。

 

熱田裁判長

裁判長:月は分からないと言ったんだから、何を聞くのか、別の形で聞くしかないんで、聞くとしたら。

 

弁護人

弁護M:だから、今の証言は、明らかに避けているか、自分の証言の信用性がないので。私が聞いてるのは、そんな大事な電話があれば、武田管理官から来るよりも、ちやんとメモをするなり、記憶に環すんじゃありませんか。それさえ、分からないと言うんですか。

当時はしたと思いますが、今思い出せません。

 

 

つまり、河村先生は体温調整ができないので、異常に寒がったり、暑がったり、汗をかくとか、している、

そのために、服の下にヤッケを着たり、それから、カイロを張る、

そういう努力をして何とか授業をしようと頑張っている。なのに、

そういうこともやめるように言いませんでしたか。

そう、弁護M弁護士は訊いたのです。

さあ。見物はここからです。篠崎良治教頭は次のように答えます。

それは、県教委や東予教育事務所、市教委に、そういう格好をしている先生がいると、自殺願望のようなことを話した先生がいるということで、数本の苦情電話があった

つまり、

「苦情の電話があったから、河村教諭に対して、ヤッケを着るなとか、カイロを貼るなとか言ったのだ」

《苦情の電話》

のせいにして逃げようとしたのです。

しかし、弁護M弁護士の鋭い追及、苦情の電話が

肝心の土居中学校にはあったんですか。

に、

ありました。

と、答えます。そして更に鋭く追求されるのです。そして、弁護M弁護士の

それはいつごろのことですか。

の問いに答えられず、上のような苦しい答弁をして逃げるのです。

 

 ここから分かることは、篠崎良治教頭のいう《苦情の電話》とは篠崎良治教頭の工作したものであるということです。

東予教育事務所も県教委も、そのような電話は受けてないそうです!

 

《苦情の電話》とは篠崎良治教頭の工作

 

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで本当にいいかどうかを確認してるんです。あなたは、今、河村先生が授業はちゃんとやってるということを認めたのよ。それでいいんですか。

はい。

弁護M:それで、保護者のほうも、授業はちゃんとやってる、それから、服装の問題は病気の関係で体温調整ができないからと、そういう説明をする、そういう説明で、保護者は理解されるでしょう。

理解というか、私がそういうふうに言いましたね。体調のことは詳しくは言えないけども、授業はちゃんとしてますから、大丈夫ですということは言いましたね。

弁護M:体調のことも言えばいいじゃありませんか。河村先生は、何も、それを隠してるわけじやないわけだから、河村先生が防寒着を着たり、ヤッケを着たり、カイロを張ってるのは、病気の関係で体温調整ができないだけで、そういうことなんですよというように説明すれば、保護者も理解されるでしょう。

なかなか、確認は取ってないしですね、プライバシーもあると思いました。

弁護M:少なくとも、あなたが対応した保護者の方は、あなたの説明で納得したんでしょう。

納得したかどうかは分かりませんが、切りましたね。

弁護M:だから、学校側とすれば、河村先生が、病気の後、それも、体温調整もできない状態だけども、授業だけはきちんとやってる、だから、そういうことで、河村先生がほかの保護者から、仮に、変な目で見られるんであれば、それを学校側がカバーしてあげればいいんじゃありませんか。

そうですね。

弁護M:そういうことをしたんですか。

ですから、西条教育事務所等にも、その趣旨を伝えましたし。

弁護M:じゃ、あなた自身は対応した、だから、河村先生をかばう、そういうことをしたというように言われるわけですか。

十分でないと言われれば、十分ではないかも分かりません。

 

 

保護者から苦情の電話があったとしても、体調についてはちゃんと説明すれば保護者は納得されるでしょう?

と水口弁護士が訊くのに対して、篠崎良治教頭は、

理解というか、私がそういうふうに言いましたね。体調のことは詳しくは言えないけども、授業はちゃんとしてますから、大丈夫ですということは言いましたね。

なかなか、確認は取ってないしですね、プライバシーもあると思いました。

このように、河村教諭の体調のことは説明していないのです。「プライバシーの問題がある」というのは、お得意のいいわけです。河村卓哉教諭は、自分がうつ病を患っていたことをカミングアウトし、この病気は自分一人の頑張りでは克服できないので何とか皆さん協力してほしいと、土居中教職員や生徒たちに訴えているのです。

自殺対策基本法で謳われているように、うつ病に対して理解して対策を講じるのは、国民の責務なのです。

しかるに、篠崎良治教頭は、理解して何とか援助しようとするのではなく、それどころか、うつ病であることを隠せとさえ言っているのです。

 

このように、

篠崎良治教頭はうつ病に対して正しい理解をしていない

ことが明らかになりました。

 

しかし、ひどいのはそれだけではありません。

篠崎良治教頭は河村卓哉教諭を潰そうと企てていたのです。

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それから、事件があった平成20年1月ごろのことですけども、生徒の受験に関して、面接指導というのがあって、廊下は非常に寒いんだけども、そこに河村先生も出て、生徒の監視に当たってほしいと、そういうような指示をしましたか。

してません。

弁護M:更衣室、いわゆるランチルームだけども、そこで、学年主任の伊藤さんに対して、廊下に立って監視を依頼するように、みんなで手分けしよるんです、そういうふうに言うたらええんじゃというようなことを言っていませんか。

覚えておりません。(=はい。言いました。)

弁護M:これは、河村先生は寒さに弱くて、とても廊下に立って指導ができないということを分かった上で、伊藤学年主任を通じて命じたのではありませんか。

覚えておりません。(=はい。命じました。)

弁護M:河村さんは、実際に立ってたでしょう。実際に、廊下に立って、今、あなたが言われてるような、監視をする、そういう役目を果たしたでしょう。

いつの時期ですか。

弁護M:平成20年1月。

何の入試の指導ですか。私立でしょうか、県立でしょうか。

弁護M:私立だそうですよ。

それは、私立ですね。

弁護M:そのときにそういう指導をして、そして、河村先生が寒い中、立って、監視をしてたのを覚えてませんか。

私は見てません。

弁護M:河村先生がどんな状態だったか、見てるでしょう。

私は見てません。

弁護M:1月15日には、布団をかぶらんようにしろ、そういうことを伊藤さんに言うてませんか。

覚えてませんね。(=はい。言いました。)

弁護M河村先生は、いったん断ったけども、学年主任が、みんなが手分けしよると言うから、寒い中で、シュラフをかぶって、湯たんぽを入れて、それで立ってたんでしょう。その格好を見て。

見てません。

弁護M1月15日には、今度は、布団をかぶらないようにしろ、そういうことを、あなたが言ったでしょうがね。

いや、覚えてませんね。(=はい。言いました。)

弁護M:それはまた、あなたが直接そういう発言をしてることは、また別なことで立証しましょう。それがあって、次の1月16日に本件の事件があったんではありませんか。

何日ですか。

弁護M:1月16日。

その面接は15日ですか。

弁護M:私が聞いたのは、1月15日に、伊藤さんに、みんなで手分けしよるんですと言うて、立てるように指示を与えた、1月15日には、今度は布団をかぶらずにするように指示をした、それで、1月16日に本件の事件があったと。ちなみに言うと、1月15日のときには、布団をかぶらないようにと言うだけでなくて、私立の入試に付き合うように言えと、そういうことまで言ったのではありませんか。

覚えてません。

 

 

この企みをランチルームで行っている陰の会話はこちらからどうぞ

 

寒さに極端に弱い河村卓哉教諭に、「面接指導の監視があるから廊下に立つように」と、伊藤貴仁教諭を通じて指示し、次には「布団をかぶらずに立て」と指示するように、伊藤貴仁教諭に言っていたのです。

 

河村卓哉教諭にとっては命取りになるようなことです。

これが、平成20年の1月15日のこと。

 

 

 

そうしてみると、

篠崎良治教頭は、平成19年の4月からずっと、河村卓哉教諭を潰そう、やめさせてしまおうとことあるたびに暗躍していた

という事実が浮かび上がってきます。

 

 

 

そして、ついに

1月16日に起こった騒動を種にして暴力事件をでっちあげて、河村卓哉教諭を教育界から追放しようと踏み出す

のです。

 

 

 

次に高橋恭敬教諭の証言を見ておきましょう。

 

高橋恭敬教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:平成19426日に、あなたと教頭に対して、河村先生は今のような状態を説明して、自分の苦しいことを分かってほしい、そういう説明をしませんでしたか。

そう言われても、ちょっと覚えてないです。

弁護M河村先生は自分の病気の苦しさを分かってもらうために、同和教育という言葉も出して訴えたのではありませんか。

授業の打合せのときですか。

弁護M:そうです。あなたは教務主任だから、そういう授業の中身について準備をする、だけど、自分は病気なのでなかなか苦しいから、今言った配慮をお願いできないかということを言ったんではありませんか。

覚えてないですね。その授業の話はしましたけど。

弁護M:そのときに、教頭は立ち上がって、同和教育はそんなことではないと言うて、激高したんではありませんか。

激高したのは河村先生です。

弁護M:それは河村先生が今言った、同和教育と同じで、弱者を救うのが教育ではありませんかと言ったのに、教頭さんが同和教育はそんなことではないんだと言って全く聞く耳をもたなかったので、河村先生も声を荒げたのではありませんか。

それは把握していることと違うと思います。

弁護M:実際には、そういうやり取りがあった後、あなた方は河村先生にあいさつもしなくなったんではありませんか。

いいえ。

弁護M:いいえというのは、あいさつをしたということですか。

しました。

弁護M:河村先生にした、間違いないですか。

はい。

弁護M:河村先生は奥さんに送り迎えをしてもらっていたようですけども、奥さんにもあいさつをしましたか。

それはあんまり記憶が、奥さんと話をした記憶が余りありません。

弁護M:奥さんは教育委員会にも訴えてますけども、奥さんは学校のあなた方の教員、幹部教員のかたがたが河村先生を無視しないでほしい、それで、主人だけでなくて、私があいさつをしても無視する、そういうのをやめてほしいという申入れをしておりませんか。

いや、それは知りません。

弁護M:河村先生の奥さんは6月25日月曜日、校長室で校長さんに今の話をしているんだけれども、校長から聞いたことはありませんか。

校長から、ちょっと具体的には記憶はないです。

弁護M:少なくともあなたとすれば、この4月の段階で話があったけども、それ以降も河村さんや河村先生の奥さんに、ちゃんとあいさつをしてきましたと言えるんですね。

してないことはありません。

弁護M:それから、あなたは河村先生が病気のために授業しかできなくて、それ以外の校務にはなかなか就けない、そういう河村先生に対して「ボーナスが出るんじやけん、学校に残らんと帰ってくれたらええけんな。」という言い方をしましたか。

ちょっと言い方は違うと思いますが、そういうことは言いました。

弁護M:河村先生は先ほど言っているように、体温調節ができないので、どこか様になって自律訓練ができれば落ち着くから、そういう場があれば授業の準備も学校内でできる。だから、そういう場所をお願いできないかというような話はあったけども、学校側は授業以外は全部病休にしなさい、そういう指示をしてたのではありませんか。

それは、私には分かりません。

弁護M:あなたが言ったのは6月4日で、その6月1日に、そういう授業以外はすべて病休にしなさいという指示をしていたのではありませんか。

そういう指示は、私はできませんからしてません。

弁護Mそういう指示があったうえで、あなたが6月4日にボーナスが出るんやけん、学校に残らんと帰ったらええよというようなことを言ったんではありませんか。

私は被告人が授業がないときに、机にうつぶせてしんどうそうにしているから、そう言ったんです。

弁護M:そうすると、あなたは河村先生のことを考えて言うたということですか。

もちろんそうです。

弁護M:だけど、あなたは河村先生に対して「うろうろせんといてや、今日は授業がないから、病気なんだから、もういんで、いいんですよ。」と、そういうようなことを言ってませんか。

そういう言い方をしたようには覚えてないですけど。

弁護M:どんな言い方なの。

ちょうどその90日に、90日以上休むとボーナスというのは減額されていくんです。そのことを心配されて、無理して体調が悪いのに、授業以外のときもおられるのかなと思って「ボーナスが出るみたいじやけん、無理せんと帰ってええんですよ。」ということを言ったと思います。

弁護M:今あなたが言った、病気休暇は90日というような話は、6月1日に河村さんの奥さんが授業以外は全部病気休暇にしろと言われたので、病気休暇というのは90日しかないし、給与にも跳ね返ることなんですよということで、話をした内容なんですよ。それをあなたは知ったうえで、6月4日に今の発言をしたんでしょう。

それを奥さんが話したかどうかは知りませんけど、その内容は、僕は知ってました。

弁護M:だから、単に90日だけじやなくて、校長室で河村先生の奥さんが、校長や教頭から言われたことに対して、河村先生は一生懸命努力して学校に来ているから、それで授業も何とかできている、あとは、異常になったときはちょっと横になって自律訓練ができれば落ち着くから、病休などと言わずに学校におらせてほしいということを、お願いをしてたんじゃありませんか。

だから、それは、私は聞いてないですから知らないです。

弁護M:それを聞いたうえで、この6月4日にボーナス出るんじゃけんというような発言をしたんじゃないんですか、それはもういいです。それから、私が聞いたのはそのあとの話ですよ。その発言以外にも「うろうろせんといて。」とか「今は授業がないから何しにきよるん。」そういう発言をしませんでしたかということです。

ちょっと記憶ないです、それは。

 

 

彼、高橋恭敬教諭も大嘘つきです。

彼は平成19年に、河村教諭が朝職員室に入って挨拶したときに、いやらしそうに「なぁに言よん!」という言葉を投げつけています(『パワハラ救済のお願い』)。

高橋恭敬教諭が河村卓哉教諭に挨拶しましたと言うのは、嘘です。

 

また、同様に「うろうろせんといて」と言う言葉も何度も投げつけています。

 

そして、そんな彼ですから、

そのことを心配されて、無理して体調が悪いのに、授業以外のときもおられるのかなと思って「ボーナスが出るみたいじやけん、無理せんと帰ってええんですよ。」ということを言ったと思います。

などと言うのもチャンチャラおかしい、大嘘です。「なんで居るんですか。うろうろせんと、帰ってください。」彼の本音はこういうことです。

 

 

ここまでで、学校の重役を担う教頭と教務主任が、河村卓哉教諭の病状に対して全く栄会を示さず、それどころか嫌がらせをしていたことが明白になりました。

 

篠崎良治教頭と高橋恭敬教諭は

河村卓哉教諭の病状を理解せず嫌がらせをしていた

 

 

 

では、校長はどうでしょうか?

少し長いですが、メンタルヘルスに関する部分をすべて引用します。

 

村上正哲元校長の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、平成19年4月に河村卓哉先生が土居中に転勤してきたということですね。

はい。

弁護M:河村先生は、前の年に休職をして、復職をして、それで、平成194月に土居中に変わってきたという経過でしたかね。

前の年の休職とかいうのは、よく分かりませんけども。

弁護M:平成19年に転勤してきて、河村先生が抑うつ症というんですかね、いわゆるうつ病を羅患してると、そういう話を聞きましたか。

はい。

弁護M:それで、そういう、いわゆる、心の健康の問題ということなんですけども、教員の方のメンタルヘルスというのは、教育委員会のほうでも、いろんな指導がありますか。                         

研修を受けたことはあります。

弁護M:校長会で、メンタルヘルスの研修があったということですね。

校長会だったかどうかは忘れましたけど、ありました。

弁護M:愛媛県の教育委員会のほうでも、教職員の心の健康相談事業というのをやっておるんですか。

よく覚えていません。

弁護M:それとか、うつ病などで休職した場合、職場復帰についての職場復帰支援システム、そういうことを、愛媛県の教育委員会は取り組んでいるんですか。

よく覚えていません。

弁護M:そういうことを校長会でも研修してるのかなと思いますけども、それはまた河村次長さんのほうから聞いてみましょう。それで、そういう一般論ですけども、教員のメンタルヘルスの問題で、学校内に、そういう教職員がいる場合には、どういう対策をとるんですか。

すいません、どういうこと。

弁護M:よく新聞なんかでも、教員のところでいわゆるメンタルヘルスというのが大変問題になってるのではありませんか。

はい。

弁護M:よく新聞報道などでも、そういう対策をどうするかというのが報道されているので、校長さんだから、自分の学校に、そういう、心の問題についての教職員がいれば、いろんな配慮をするのではありませんか。

そうです。

弁護Mその配慮の具体的な内容、どういうことをするのか、それをお聞きしてるんです。

本人の勤務できる状況を聞きまして、そして、本人の申し出に応じるように努力はしました。例えば、校務分掌が持てないとか、朝の、まだ、たくさんの人の前に出るのが難しいので、朝の職朝は出れないとか、そういったこと、又は、途中でしんどくなったら帰らせてくれとかいうことについては、本人の申し出のとおりにいたしました。

弁護M:それの具体的な、河村先生についての具体的な中身はまた後で聞くんだけど、一般的に、校長として、管理職に就いてるわけだから、それで、あなたはよく知らないと言われるんだけども、教育委員会のホームページを見たら、今、私が言ったような、心の健康問題についての事業をちやんと掲示しでるから、学校としては、そういう心の健康問題を抱えてる教職員がいれば、こういうことに注意しなさいよというような指導はありませんか。

・・・・・・。

弁護M:まず、一般論を聞いてるだけです。一般論を聞いて、それから、それに合わせて、河村卓哉先生の場合にもどう取り組みましたかというのを次に聞きますから。

研修を受けたことについては、研摩とかもありましたので、それにつきましては、職員会等では報告したと思います。

弁護M:だから、その報告をしてるから、どういうことに配慮するのかというのを聞いてるだけなんです。当たり前のことだと思いますけどね。

それは具体的な、それぞれの、ほかにもいましたけども、それはそれぞれの、河村先生だけじゃなくて、ほかにも同じような人もいましたので、それは個々に対応いたしました。

弁護M:そういうことなんですよね。心の健康問題というのは、個々人いろいろ違うから、個々人の状態に応じて、対応をとる、そういうことなんでしょう。

そうです。

弁護M:それで、河村先生のほうからもいろんな事情を聞いて、それで、河村先生が勤務しやすい、そういう環境を整えようとしたということでいいですか。

努力はしました。

弁護M:具体的に挙げたのが、校務分掌を少なくする、そういうことですか。

なくするです。

弁護M:少なくするよりもさらに進んでなくしたということですか。

本人が、多分、そのときは難しいことだったと思います。

弁護M:それから、校務分掌の問題、ほかにどういう要望がありましたか。

部屋を一個、休める部屋を欲しいというような要望も、それは後であったか、どの段階であったかというのは忘れましたけど、最初にもあったと思うんですけども、それについては、空いてる部屋がありませんでしたので、それについては、できかねるというお話をしました。休むんであれば、職員室にある更衣室でお願いしますというようなことだったと思います。

弁護M:休める部屋ということなんですけども、それは何のためになんですか。

本人が、授業をして疲れたらとか、そのほかでも疲れたときに、いつでも休める部屋という意味だと思います。

弁護M:河村先生は、4月の段階で、自律神経がうまく整わないので、異常に汗をかくとか、そういう状態だったので、自律訓練というのができるような、そういう場所が欲しいんだというような要望じやありませんでしたか。

私は、休める場所だったというふうに記憶しています。

弁護M:それで、校長さんの指示は、休める部屋がないので、更衣室を利用してほしいということですか。

本人が、そのときは、帰る場合もあるとか言ってましたんで、当初は。

弁護M:だから、それは、どうしても、体調が悪いときは、学校内でおれないから、家に帰るというのもあるでしょうけど、私が聞いてるのは、だから、学校内で、ちょっと体調が悪いときに、休める部屋が欲しいんだということを言ってるわけですよね、それに対して、校長さんはどういう配慮をされたんですかということです。

一般の先生方も含めて、そうですけども、体調が悪くなれば、保健室に行くこともできますし、職員室でそのまま休むケースもありますし、あと、調子が悪ければ、年休を取られて、それから帰る場合があると思います。

弁護M:そういう指示をしたんですか。

どういう指示ですか。

弁護M:今言ったことですよ。しんどければ、保健室で休んでくださいということを、河村先生に指示したんですか。

それは、指示しなくても、しんどければ行くと思います。どの先生方もそうされてると思うんですけど。

弁護M:そういう問題じゃないでしょう。河村先生がこの土居中学校に転勤したときに、自分はまだまだ体調がよくないので、今言った、勤務途中で悪くなったときに、横になって休める場所が欲しいという具体的な要望をしてるんだから、教育委員会の指導に従えば、きちんよそれに配慮するべきじゃありませんか。具体的に、そうなったときは、保健室が空いてるから、そこのベッドを使ってくださいという、一言を言えばいいじゃありませんか、そういうことを言いましたか。

更衣室には、ソファーがありますから、更衣室も利用できるということは言ったと思います。

弁護M:今、言わなかったのは、保健室のベッドを利用しなさいとは言わなかったということですね。

それは具体的には言ってないと思いますし、彼からも、今、このことで休みたいんだとかいうようなことではなかったと思う、そういうことはありませんでした。

弁護M:河村先生は、あなたから具体的な指示がないから、学校内で休む場所も確保できない、だから、わざわざ、市の教育委員会のほうにいって、何とかしてくれませんというような申入れをした、そしたら、教育委員会のはうでは、保健室があるんだから、保健室のベッドを利用したらどうですかというような指導を受けたのではありませんか。

私がですか。

弁護M:そういう話を聞いてませんか。

保健室を使うと、いうのは、それは、わざわざ、委員会から言われたという記憶はありませんけども、それは当然みんながしていることですから。

弁護M:そういうことを許さなかったので、河村先生は、教育委員会にお願いに行って、これから後から出てくる河村次長さんが、そういう保健室を使ったらいいよというようなことを言ってくれたんじゃありませんか。

私が聞いたのは、休む部屋を別に確保してほしいというので、それは難しいという話はしました。だから、一人にずっと部屋を空けるような部屋はなかったので、それはできないということをお話ししただけです。

弁護M:今、今日の法廷では、保健室のベッドを利用したらいいし、それからしんどくなったら家に帰ってもいいですよ、そういうことができましたということを、この場では言うわけですね。

聞かれたから言ったんです。

弁護M:それで、校務分掌を外すということなんですけども、あなたは一番最初に河村先生にどう言うたか、覚えてますか。

一番最初の言葉ですか。

弁護M:今言った、自分は、しんどいので、なかなか校務分掌も難しい、あなたはそういう申し出に対して、河村先生に対する配慮として、校務分掌を外したというように言われるんだけども、一番最初に河村先生に何を言ったか、覚えてますかということです。

覚えてません。

弁護M:あなたは、河村先生に対して、最初の面談、4月2日です。「みんなにもいろいろ受け持ってやってもらっとるけん、先生だけ、何ちゃせんというのは、そういうわけにはいかん」、そういうことをずばり言ったんじやありませんか。

覚えておりません。それは言ったかも分かりません。それは流れの中で、まだ、勤務をどうするかというのは決まってない段階だったと思うんですね。

弁護M:勤務が決まってないから、河村先生が4月2日の初日の面談で、自分の状況を言うたわけだから、それを教育委員会の心の健康事業の問題から考えれば、当然配慮するということでしょう。だから、さっきも言ったような、あんただけ何ちやせんというのは通らんと言うんじやなくて、分かりました、そしたら検討してみましょうというのが、教育委員会の指導に沿った回答ではありませんか。

通らんと言ったことはないと思います。そういう状況を、ほかの先生の状況があるから、どうできますかみたいなことは聞いたかも分かりません。

 

 

これを見ていて思うのは、村上正哲元校長は

教員の方のメンタルヘルス → 忘れましたけど、ありました。                         

教職員の心の健康相談事業 → よく覚えていません。

職場復帰についての職場復帰支援システム、→ よく覚えていません。

このように、教職員のメンタルヘルスについては何も知らないということです。

 

こんな人物が、篠崎良治教頭や高橋恭敬教諭の悪だくみをよく指導できるはずがありません。

 

水口弁護士が

勤務が決まってないから、河村先生が4月2日の初日の面談で、自分の状況を言うたわけだから、それを教育委員会の心の健康事業の問題から考えれば、当然配慮するということでしょう。

だから、さっきも言ったような、「あんただけ何ちやせんというのは通らん」と言うんじやなくて、「分かりました、そしたら検討してみましょう」というのが、教育委員会の指導に沿った回答ではありませんか。

と言っています。これこそが正道なのです。

村上正哲元校長は

更衣室には、ソファーがありますから、更衣室も利用できるということは言ったと思います。

と言っていますが、そこが魔の巣窟、すなわち幹部たちのランチルームになっていることは知っているのです。苦し紛れの返答にすぎません。

 

つまりまとめれば、村上正哲元校長には教職員のメンタルヘルスを重要視する気持ちがちっともなかったのです。

 

村上正哲元校長は教職員のメンタルヘルスを重要視してなかった

 

 

この人物がこうなってしまったのにはある理由があります。

それは次の証言です。

 

村上正哲元校長の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それから、もう一つ、同じ4月なんだけども、今のは校務分掌の問題ですけども、授業について、どう取り組むかということで、4月26日、校長室で河村先生と河村先生の奥さん、それから教頭と教務、そういう方々が、5月から授業について話し合ったことがありましたか。

ありました。

弁護M:このときも、授業をするに当たって、河村先生のほうから、いろんな要望が出たんではありませんか。

4月26日は奥さんとの話だったんではないかなというように思うんですが、間違いですかね。

弁護M:奥さんも同席してたということです。それで、河村先生は自分の状況を説明をして、こういう心の健康問題について配慮するというのは、土居中学校が熱心に取り組んでいる同和教育と同じことでしょうということを言ったんではありませんか。

聞いていません。

弁護M:何を聞いてないの。

今言ったような言葉は聞いていません。

弁護M:「同和教育と同じでしょう。」と言ったら、教頭と教務主任が立ち上がって、「何言うとんじゃ。」と怒ったんじゃありませんか。

4月26日ですか。同和教育と同じというのは、ちょっと意味が分からないです。

弁護M:河村さんからすると、自分が体調が悪い、それで、学校側にいろんな配慮を求める、そういうのは弱者に対する配慮をすることと同じことだから、同和教育と同じ理念じゃありませんかと、土居中学校というのは、同和教育に熱心に取り組んでる学校だから、自分のこともよく分かるでしょうということで、わざわざ、河村先生のほうから説明をしたんじゃありませんか。

一番最初の、これからの数学、教科をどう進めていくかという話のときですかね。

弁護M:だと思いますよ。5月のときから数学の授業を始めるので、どういうように授業をするかということで、だから、教務主任も一緒におるんです。そのときに。

そのときに、多分、一番最初の職員会も、そのときは前の日に聞いてましたので、本人から体調が悪くなったら出ますということだったんで、すぐ出られましたんで、一番最初の職員会のときには、学校の方針とか、こういう形で1年間やっていきましょうというような話をしていきますけども、そのときも、おいでなかったので、初めて土居中学校での打合せということになるので、学校の方針とか、いろんなものを含めて、お話をするように、用意をしてもらいました。そのときに、そんな話はかまわんみたいな話だったと思うんです。

それで、僕が記憶しているのは、自分の病気のことをみんなに言うのは、被差別部落の人たちが自分の立場を言うのと同じだみたいな言い方をしたので、それは違うということを教頭先生が言われたと思います。だから、同和教育うんぬんではなくて、いわゆる立場宣言的なことと、病気で、自分の病気のことを言うことと、被差別部落の人たちが、全く自分に理由のないことで差別を受けて、本来は言う必要のないことを言わなければいけないようなこととは違うんだというようなことを言われたと思います。それは違うというような言葉は、きっぱり、教頭先生は言われました

それは考え方の違いだろうと思うんですけども、そのことで、河村先生が、きっぱり否定されたものだから、怒って、言い合いになった場面があるけども、そのことについては、後で話しましょうやということで、じゃ、具体的な手続に、話は移ったというふうに記憶をしています。

 

 

これが村上正哲元校長の受け止めなのです。河村卓哉教諭は、自分がギリギリ状態なのでそれを分かってもらいたい、

そういうのは弱者に対する配慮をすることと同じことだから、同和教育と同じ理念じゃありませんかと、土居中学校というのは、同和教育に熱心に取り組んでる学校だから、自分のこともよく分かるでしょう

だから、分かってくれるでしょう?

まさに、水口弁護士がいったそのことを話したのです。

 

 

しかし、村上正哲元校長はそうは受け止めなかった。

病気と部落とは違う。これで、一刀両断のもとに切りつけた。それが篠崎良治教頭。

病気で、自分の病気のことを言うことと、被差別部落の人たちが、全く自分に理由のないことで差別を受けて、本来は言う必要のないことを言わなければいけないようなこととは違う

ここには、同和教育の本質に関する問題が隠れています。

ここで、この論理について論じるつもりはありませんが、これは、土居人対協が強く主張するところのものです。

土居人対協はこの理屈で、他を切りつけるのです。

 

篠崎良治教頭も忠実にそれを実践しました。

その結果何が起こったのでしょうか?

 

罪のない生徒M君が入試間際になって転校することを余儀なくされ、また、それを守ろうとした河村卓哉教諭は今や教育界から排除されようとしています。

 

 

 

そんなことが通る社会があっていいはずがありません。

何かが間違っているのです。

 

それは、篠崎良治教頭や村上正哲元校長の振りかざす理論が間違っている。

大前提が間違っているから、とんでもない野蛮なことが現実に起こってしまう。

 

こういうことです。

 

ちなみに触れておくと、土居人対協の理論は、解放同盟の理論とは違います。

土居人対協は、虎の威を借る狐のごとく、解放同盟を利用しようとしています。

解放同盟は、賢明に土居人対協を切り捨てるべきでしょう。

 

まとめておきます。

 

土居人対協の理論には欠陥がある

 

 

 

さて、こうして、

病気の河村卓哉教諭に対して理解や支援をするどころか、妨害や嫌がらせを始めた、土居中幹部教師たち。

 

 

その長である、村上正哲元校長に、《病気休暇取得指示》について聞いてみましょう。

 

村上正哲元校長の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M426日の話は聞いたんだけども、それから河村先生が授業をやるわけですけども、5月中に何か配慮をしましたかという質問です。

授業については、最初は僕も心配んていたんですけども、非常にスムーズに入れたということで、本人もすごくいい感触を持ってたというように聞いています。だから、そのことはそのことで、うまくいっているというようなことで、私は認識をしていました。

弁護M:授業については、教頭さんでも、何の問題もなかったというようなことを言ってるから、5月に授業を始めたけど、これはうまくいってるんです。ところが、学校側は、次に何を言ったかというと、6月1日に、授業以外は病休にするように指示をしたんではありませんか。

指示は出していません。

弁護M:提案はしたの。

提案はしたと思います。勤務時間については、朝が来れないというようなことと、それから、途中で帰られたり、校務分掌も全然持ってないですから、勤務をどうする、時間休の病休をどうするかというようなことについては、私個人の判断ではいけないので、教育委員会のほうにも相談をして、どういうふうなカウントをしたらいいかというようなことについても、指示を仰ぎました。最終的に、一番本人にとうても負担がかからない形にしていくには、焦らずに授業に専念をしていくというようなことで、そのことには奥さんも賛成だったので、帰って、河村先生のほうにお話をしてますということで、お話をしたら、了解をしましたというようなことであったと思います。むしろ、そのことのほうが、彼がスモールステップでやっていくのにはいい方法である、焦らないでやるほうがいいし、本人に負担をかけないほうがいいというようなことは、奥さんもおっしゃっておられたと、私は記憶をしております。

弁護M:あなたは、一杯いろんなことを言うけど、この6月1日の授業以外は病休にするようにというのは、指示ではなくて、提案にすぎないんですか。

提案です。

弁護M:そうすると、それに従わなくてもかまわなかったわけですか。

それがうまくいかない場合はまた教育委員会とも相談をして、すると思います。

弁護M:何を言ってるの。あなたが言ってるのは提案なんでしょう。

そうです。

弁護M:指示だったら、従わないけないけども、だから、どちらなんですかと聞いてるんです。

何ですか。指示じゃなくて、指示なら守ってくださいということになりますけども、提案だから、もし、その提案が受け入れらないとなったら、また新たな提案をしなければいけないから、そこらあたりはまた委員会とも相談をして、する予定でしたけども、そのことについては、快くそのときは了解をしていただいたと思います。本人も授業がうまくいっているし、すごく土居中の生徒とうまくいっているというようなことで。

弁護M:あなたの言っている中で、一番大事なのは、土居中の生徒とうまくいってる、そこは正しい。二つ目、河村先生が了解しますか。授業をするためには、その準備が要るでしょう、まず違いますか。

そうですね。

弁護M:授業をうまくやるためには、綿密な準備が要る、それはどこでするんですか、学校でしょう。違うんですか。

・・・それは家でする人もいますし、いろいろだと思います。

弁護M:河村先生は、それを学校でやりたい、そういう要望ではありませんか。

それはもっと後になってのことで、それについては、また、その要望を取り入れていったと思います。

弁護M:違います。6月1日のときに、そういう要望ではありませんでしたかということです。

ありません。

弁護M:奥さんは、その話をとても御主人には言えないから、いったん帰りますと言って、帰ったんじゃありませんか。奥さんからの返事は、6月4日でしょう。違いましたか。

日にちははっきり覚えていません。

弁護M:奥さんがなぜ即答できなかったかというと、今言ってるように、河村先生は、生徒とは非常にうまくいってる、このまま学校でいる時間が長くなればいい、そういうことが分かっていたから、あなたに言われた指示に従わなかった、それで、6月4日に、もうどうしようもないから、当分はそれでやっていこう、そのときに奥さんのほうからは。

 

熱田康明裁判長

裁判長:あんまり長かったら答えられない。

 

弁護人

弁護M:まずはそういう経過ではありませんか。

本人の症状からいって、無理をせずに、そのときはやるのが、ベストだというふうに奥さんも言われてたように思います。

弁護M:奥さんが言ったのは、御主人に伝えたら、本人は病休を取りたくない、だけど、当分はそれでやっていく、そういう答えではありませんか。

細かいところまでは覚えてないですけども、それを了解をしたというのは聞きました。

弁護M:細かいことは覚えてないといったって、だれが考えたって、病気で休職して復帰した、授業は何とかうまくいき始めた、そういう方がわざわざ授業以外は病休にしますということを了解すると思いますか、常識で考えたって。よく思い出してください。

・・・それは、本人からは聞いていません。

弁護M:それで、奥さんは、今言ったように、当分それでやっていくと言ったけども、そのときに、条件を付けてませんか。御主人に声をかけてほしい、職員会の資料など、最低限のことは教えてほしい、そういう要望はありませんでしたか。

どの段階だったか分かりませんでしたけども、声をかけると、本人にとっては、すごく気持ちが落ち着くというようなことは言われたことは記憶にあります。

弁護M:これは、6月4日にも言ってるけども、6月25日にも同じような要望はありませんでしたか。

同じだったかどうか、お話は、そのころ、したと思います。

弁護M:6月4日に一度言って、6月25日、大体20日ぐらいたったけども、奥さんは同じように無視するのはやめてほしい、主人だけでなぐ、私があいさつしても、無視する、そういうことを校長に言ってませんか。

あいさつを無視するというようなことについては、記憶にありません。ほかの場合でもそうですけども、そういう場合は、例えばだれが無視をするかとか、そういうことを聞いて、対応すると思いますが、記憶にないです。

弁護M:奥さんからすると、64日、625日、2回も同じような要望をしてるんだけども、あなたは、何か対応はとりましたか。

要望というよりも、病気についての理解をしてはしいというような話はありました。それは覚えています。おぼれている人に輪を投げてあげたら、大抵のおぼれている人は取れるけども、それさえできない状況、こういう病気というのは、それさえできない状況なので、中に入っていって、助けてくれるような、そういう人が欲しいというようなことは言われたことは記憶をしています。そういう病気なんだというようなことは言われたことは覚えています。だから、無視をされてるとか、うんぬんというのはなかったと思います。

弁護M:そんな抽象的なことを要望してるんじやなくて、職員会の資料など、最低限のことを教えてほしい、そういうことですよ。だから、学校で配布してる資料をちゃんと渡してほしい、こういう具体的な要望を出してるのに、学校側は対応したんですかという質問です。

それは、職員会の資料というのは、例えば、机の上に置くなり、必要な書類は、ちゃんと机の上に置いてくれというのは、話したと思います。同じ職員ですから、来てるわけですから。

 

 

5月中は、うまくいっているというようなことで、私は認識をしていました。

そうなのです。河村卓哉教諭は次第に、学校にいる時間を増やしていき、5月下旬には毎日午前中は勤務していられるようになったのです。

ところが、6月1日に、授業以外は病休にするように指示がおります。

村上正哲元校長は、指示ではない、提案だと言います。

しかし一体何のための提案なのでしょうか?

河村卓哉教諭も奥さんも、この指示に非常にショックを受け、苦しむのです。村上正哲元校長は言います。

提案はしたと思います。

勤務時間については、朝が来れないというようなことと、それから、途中で帰られたり、校務分掌も全然持ってないですから、勤務をどうする、時間休の病休をどうするかというようなことについては、私個人の判断ではいけないので、教育委員会のほうにも相談をして、どういうふうなカウントをしたらいいかというようなことについても、指示を仰ぎました。

最終的に、一番本人にとうても負担がかからない形にしていくには、焦らずに授業に専念をしていくというようなことで、そのことには奥さんも賛成だったので、帰って、河村先生のほうにお話をしてますということで、お話をしたら、了解をしましたというようなことであったと思います。

むしろ、そのことのほうが、彼がスモールステップでやっていくのにはいい方法である、焦らないでやるほうがいいし、本人に負担をかけないほうがいいというようなことは、奥さんもおっしゃっておられたと、私は記憶をしております。

 

さて、5月に授業も楽しくできてせっかく体調が良くなり勤務時間も増やせてきていた河村教諭に、何のためにこのような提案をする必要があるのでしょうか?

ここで、重要な言葉があります。彼がスモールステップでやっていくのにはいい方法というこの「スモールステップ」と言う言葉です。

これは、河村卓哉教諭が大阪の医師から教えてもらった、うつ病から復帰していくための非常に重要なメソッドだったのです。

ところが、先に出てきた篠崎良治教頭が、河村卓哉教諭を寒い廊下に面接指導だから立たせろ、と言っているとき、この言葉を使っています。何をかいわんや。スモールステップとは無理せずに少しずつ負荷をかけていくということです。篠崎良治教頭はこの言葉だけを取って河村卓哉教諭を潰そうとするのです。

当時土居中校長室では、村上正哲元校長も河村敏和次長も、篠崎良治教頭に洗脳されてこの言葉を使っていたようです。

 

河村卓哉教諭がせっかく本当のスモールステップで復帰できつつあるのに、授業以外を病気休暇にしてしまったら、病気休暇が90日分終わってしまったときにいきなり8時間完全勤務と言う大きな壁が立ちふさがることになってしまうではありませんか。

 

本当に河村卓哉教諭の完全復帰のことを考えるのなら、「5月の調子で徐々にやって行きなさいよ」だけでいいのです。そうしておけば、6月か7月には8時間完全復帰ができていたことでしょう。

 

村上正哲元校長は、「勤務をどうする、時間休の病休をどうするかというようなことについては、私個人の判断ではいけないので、教育委員会のほうにも相談をして、どういうふうなカウントをしたらいいか」と言っています。

ここです。

村上正哲元校長は河村卓哉教諭の完全復帰などは眼中になく、事務処理の方が頭にあったということです。

 

 

いいえ。それだけではありません。

どこの件でも、病休を時間休で取ることが認められていますから、事務的にも何ら問題はないのです。

 

では何のためにそんなところにこだわるのでしょうか?

それは、  河村潰し   です。

 

河村卓哉教諭を土居中から排除するためには、病気休暇を90日分早く消化させてしまえばいい。そのとき、あの調子では復帰はできないから、休職せざるを得なくなって排除することができる。

このようなもくろみがあったのでしょう。

そういうわけで、「授業以外は病休にせよ」という「提案」をしたのです。こうしてみれば「提案」であるはずがなく、本音のところは「指示」に間違いありません。

 

 

今言ってるように、河村先生は、生徒とは非常にうまくいってる、このまま学校でいる時間が長くなればいい、そういうことが分かっていたから、あなたに言われた指示に従わなかった、本人は病休を取りたくない、

だれが考えたって、病気で休職して復帰した、授業は何とかうまくいき始めた、そういう方がわざわざ授業以外は病休にしますということを了解すると思いますか、

この水口弁護士の質問に、村上正哲元校長が答えた答えは、

・・・それは、本人からは聞いていません。

です。なんと、村上正哲元校長は河村卓哉教諭本人からは何も聞いてないのです。

聞けば、河村卓哉教諭は反対するだろう。せっかく体調が良くなっているのに、それをまたわざわざ危険に落とし込むような提案は受け入れられないと言うだろう。

村上正哲元校長には、そのことが分かっていたのです。

だから、こっそりと、河村卓哉教諭のいないところで、奥さんにぶつけたのです。

 

 

まとめましょう。

村上正哲元校長は病気休暇を無理やりとらせて、河村卓哉教諭が学校に出て来れないようにした(排除!)

 

 

さらに、その場には

篠崎良治教頭河村敏和次長が同席した。

 

 

 

そこで、教育委員会はこのような校長や教頭をどう指導していたのでしょうか?

教育委員会は、河村卓哉教諭の病状をどうとらえていたのでしょうか?

長くなりますので、これについては稿を改めます。

 

 

 

 

 

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