裁 判 記 録 に 見 る

土居中事件

まごころ広場            四国中央市の人権を守る真の会

HOME 土居中冤罪事件 土居町いじめの実態 サイトによる告発 資料 連絡 ゲストブック

 

土居中学校では、幹部教師たちは河村卓哉教諭に対してどのように接していたのでしょうか。

このことについては、河村卓哉教諭と星田真喜子教諭の証言からその一端をうかがい知ることができます。

 

河村卓哉教諭の証言

検察官I(池田副検事)の証人尋問

検察I:次なんですが、先だっての公判で、高橋恭敬先生が、これは平成19年ですね。あなたが土居中に平成194月以降、高橋先生はあなたから「おれは病気なのに、おれが学校に来やすいような学校にするのがおまえらの仕事だろうが。」とどなられ続けていたというふうに証言していたんですが、そのようなことを言ったのは事実ですか。

いや、言った記憶はありません。もうあのとき、お互いがおらび合いをしよったんで、お互い何を言うたかというようなのは、よく覚えてません。で、私はそのときもう本当に、4月26日、学校に何分おれるかねみたいな感じで、「ちょっとでも早うに済んだらええのにね」という感じで行っとったんで、もう限界ぎりぎりだったんで、たしか毛布をかぶってやっとった状態だったと思うんです。だから、会話の内容がどんなだったかというのは覚えてないです。

検察I:これは一時期、一事件をとらえているんじやなくて、4月以降ずっとそういうふうに言われてきたというふうに証言されてたんですが。

4月以降ずっと私が恭敬先生にですか? それはうそです。

検察I:そういうことを、4月以降の中で言ったことはないということですか。

恭敬先生に対して声を太くしておらんだことはありますけど、例えば、「先生、ボーナスが出るんじゃけん、早う帰ってくれてええけんな。」みたいなことを、わざわざ朝みんながおる前で言うてきてですね、で、向こうへ行ったから、私が「そんなことないよ。」って言うたら、ぎゃあっとおらばれました。で、僕もそれに対しておらび返す。だから、そういう感じのことはあったんですけど、私が一方的におらびまくったとかいうことはありません。

 

 

高橋恭敬教諭は、

「先生、ボーナスが出るんじゃけん、早う帰ってくれてええけんな。」みたいなことを、わざわざ朝みんながおる前で

河村卓哉教諭に言ってきたというのですね。そして、河村教諭が

「そんなことないよ。」

と言ったら、河村卓哉教諭は高橋恭敬教諭から

ぎゃあっとおらばれました。

というのです。これは、その時職員室にいた何人かの教師たちから裏付けが取れています。

高橋恭敬教諭はこのことについて、次のように証言しています。

 

高橋恭敬教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:だけど、あなたは河村先生に対して「うろうろせんといてや、今日は授業がないから、病気なんだから、もういんで、いいんですよ。」と、そういうようなことを言ってませんか。

そういう言い方をしたようには覚えてないですけど。

弁護M:どんな言い方なの。

ちょうどその90日に、90日以上休むとボーナスというのは減額されていくんです。そのことを心配されて、無理して体調が悪いのに、授業以外のときもおられるのかなと思って「ボーナスが出るみたいじやけん、無理せんと帰ってええんですよ。」ということを言ったと思います。

 

 

先ほどの河村教諭の証言とはっきりと食い違っています。河村教諭が高橋教諭に「そんなことないよ」というと、高橋恭敬教諭は

ぎゃあっとおらんだ

のです。

あきらかに、河村卓哉教諭に対して親切心から言ったというのは嘘です。

 

高橋恭敬教諭は、このように直接嫌がらせをしておきながら、それをたくみに《すりかえ》て《正当化》します。

天才的です。それにだまされる人も、また、多いのです。

 

また、内容について考えてみても、病気休暇はいくらでも病気が治るまで取れるものではなく、病気が治ってなくても90日が来たらそこまでで終わりなのです。後は休職しなければならなくなります。復帰からは遠のいてしまうのです。

河村卓哉教諭はそこのところを最も心配していたことでしょう。もちろん収入の心配もあるでしょう。家計を預かる奥さんは、それを分かってもらおうとして話したのでしょう。

しかし、ここなのですが、この土居のメンバーは、なんでも自分たちの利用できるものは最大限利用できるのです。高橋恭敬教諭は河村卓哉教諭の奥さんの言葉を利用したのです。それが、

ボーナスが出るみたいじやけん

という言葉です。河村卓哉教諭が『土居中学校のパワーハラスメント 救済のお願い』の中で書いているように、

この言葉を他の教職員がいる中であえて言うことで、それを聞いた教職員の心の中に、「ろくに仕事もしないのに、ボーナスもらえるんか」という気持ちを抱かせようとする魂胆

が見え見えではありませんか。

 

したがって、高橋恭敬教諭は「親切心から言った」と言っていますが、もう一度言います。それは明らかなウソです。

河村卓哉教諭を貶めようとする

悪質な言動

です。

 

 

そうしてまた、彼らランチルームのメンバーは口をそろえて「河村卓哉教諭が何度も怒鳴っていた」と主張しますが、その実態は、今の高橋恭敬教諭との間に起こったことと同じなのです。

 

河村卓哉教諭から一方的に怒鳴ったことはなく、どんな場合も、『ランチルーム』のメンバーが先に河村卓哉教諭に対して理不尽な言動を働いているのです。

 

 

 

 

 

彼らランチルームのメンバーは、《すりかえ》を巧みに行います。その部分を、高橋恭敬教諭の証言から見てみましょう。

 

高橋恭敬教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:内容を正確に確認してもらいたいので、ここに書いてあるのは、「土居中学校の教務主任が、うつ病から立ち直りかけてがんばっている同僚に向かって『死ね、死ね、うつ病の奴は』(ボクが翻訳したよ)といったこと」と、そういう記載ですよね。これは僕が翻訳したよと書いてあるので、ズバリこの言葉を言ったとはないんですが、これに近い発言をしておりませんか。

翻訳されて、こうなる言葉は言ってません。

弁護M:あなたは河村先生に向かって「いね、いね、病気のやつは。」と言いましたか。

その言葉は、つぶやいたことはあります

弁護M:つぶやいて、それを河村先生が聞き取って「今何を言うたんぞな。」ということのやり取りがあったでしょう。

隠し取りをされました

弁護M:あなたは隠し取りと言うけれども、河村先生は、授業中ずっとマイクで録音しているんです。それがずっとポケットにあるだけなんだ。あなたが言っている、つぶやいたというのは、まさに、いね、いね、病気のやつ、こういうことを言ったもんだから、河村先生が今何を言うたんと言って確認をとったと。で、あなたは最後にどう言ったか覚えてますか。言うてないとか、言うとるとか、どっちでもええやん、そういうことを言うたんですよね。

そこははっきり覚えてません。

弁護M:でも、少なくとも「いね、いね、病気のやつは。」ということを覚えているわけですけども、これを言われた河村先生はどんな気持ちだったでしょうか。

被告人に対する配慮は、十分でなかったと思います。

弁護M:河村先生の病気の状態は、中学校長が書いている勤務実態というところではよく分かるんですけども、本人の努力もすごいし、河村さんの奥さん、御家族の努力も大変な状態ではありませんでしたか。

そう聞かれても、何とも答えようがありません。

弁護M:その人らに向かって、いね、いね、病気のやつは、これは今発言をしたことを認めるんだけども、何か弁解はありますか。

あります。

弁護M:どうぞ。

土居中学校では、給食に異物が混入されるという事件が多発して、大変給食の管理には神経をとがらせていました。その給食管理には全職員で当たってたんですが、当然被告人は、そんなことはお構いなしでした。それで、その一番混雑する時間帯に、一番混雑する場所を、毎日のように大きな海外旅行に行くようなスーツケースを引っ張りながら悠然と歩いて帰っているんです。私らは、もうぴりぴりしながらその給食を見ているんですが、そこを毎日のように通るので、私の気持ちとしては、とにかく早く立ち去ってはしいというのがありました。4月以降、ずっと病気ということをある意味利用して、私はずっと洞喝され続けてきましたので、いつもはらはらして、おれは病気なのに、おれが学校に来やすいような学校にするのがおまえらの仕事だろうがとどなられながらずっとやってたので、もうたまりにたまったものがあったので、つい、つぶやいてしまいました。もちろん河村先生に向かって言ったわけではないし、大勢の人に対して言ったわけでもありませんが、それが録音されて、ネットで一方的に流されて、私はネットで攻撃される材料をとられてしまったということです。

弁護M:今のような弁解をなぜそのときにしなかったの。

そのときとはいつですか。

 

 

もうすでに出ているように、河村卓哉教諭は授業を少しでも良くするように自分の授業をボイスレコーダーで録音して後で聞き返すという作業を毎日行っておりました。

この日4時間目に授業があって、そのままスイッチを切り忘れて帰っていた時、職員室を出たところで廊下に立っていた高橋恭敬教諭から「いねいね、病気の奴は」という言葉を投げつけられたのでした。

さて、上の証言の中でいかに高橋恭敬教諭が“すりかえ”を行い“自己正当化”を行おうとしているか発見できるでしょうか?

まず、

隠し取りをされました

と言っています。まるで、録音が入っていたのが意図的に隠し撮りされたと言わんかばかりです。これも、《すりかえ》の基本テクニックです。自分が人を貶めるようなことを言っておきながら、「隠し撮りされた」とまるで自分が被害者であるかのように言いのけてしまうのです。

なんと卑劣な人間でしょうか。

 

また、

その一番混雑する時間帯に、一番混雑する場所を、毎日のように大きな海外旅行に行くようなスーツケースを引っ張りながら悠然と歩いて帰っているんです。

と言っています。しかし、このとき、廊下には高橋恭敬教諭と篠崎良治教頭と村上正哲元校長とそして河村卓哉教諭の4人しかいなかったのです。

このことは、河村卓哉教諭が、混雑する前に早く帰ろうとしていることを物語っているとは言えないでしょうか。

わざわざ、「混雑している」というイメージに「悠然と」と言う言葉をかぶせて、河村卓哉教諭に悪いイメージをすりつけているのです。

 

 

私はずっと洞喝され続けてきましたので、いつもはらはらして、

と言うのも先ほど見たとおり大嘘で、恫喝していたのは高橋恭敬教諭の方なのです。そして、

つい、つぶやいてしまいました。もちろん河村先生に向かって言ったわけではないし、大勢の人に対して言ったわけでもありません

 

「つぶやいてしまった」と、自分の言ったひどい言葉がいかにも軽い言葉だったかのような《すり替え》を行っています。

なんという卑劣感でしょう!

そこには大勢の人などいなかったのだから、河村卓哉教諭に対して言ったのは間違いありません。そして、最後にご丁寧に、

それが録音されて、ネットで一方的に流されて、私はネットで攻撃される材料をとられてしまったということです。

と、

まるで自分が被害者であるかのようにすり替える

のです。

ネットと言う言葉を出しさえすれば自分は被害者だと主張できると勘違いしているようですが、要は、

真実を社会に対して告発された、そのことが都合が悪かった

と言うだけのことなのです。

では、その問題の「いねいね、病気の奴は」の書き起こしを見てみましょう

 

 

恭敬:いね!いね!病気のやつは!

河村:何か言うたか?

恭敬:なんも!

河村:「いね!いね!病気のやつは!」いうて聞こえたよ。

恭敬:知らんなあ。

河村:聞こえたよ。

恭敬:ああ、ほうで。

河村:恭敬くん。

恭敬:はー?

河村:「いね!いね!病気のやつは!」いうて聞こえたよ。

恭敬:んー

河村:言うてないかい?

恭敬:言うてないとか言うとるとか、どっちでもええやないか!

河村:言うたなあ。

恭敬:知らん

 

音声はこちらからお聞きください。

 

 

 

 

 

次に伊藤貴仁教諭について見てみましょう。

 

河村卓哉教諭の証言

検察官(池田)の証人尋問

検察I:この傷害事件以前のお話なんですが、あなたはほかの先生方と意見が合わなかったり、自分の意見が通らなかったりした場合には、その相手に対して、大声でどなったりしたこともありましたか。

かなり今の恭敬先生のと同じふうに、うそが証言されとるんですけど、例えば伊藤貴仁先生は、やっぱり僕に恫喝されたと言いましたけど、それが1回だけなんです。その1回は何かというのを、彼は「私と生徒がもめていたから、それを収めようとして入ろうとして恫喝された。」と言いました。それは全くのうそです。私は生徒に言葉かけをしたかって、しよったら、それを執拗に妨害されて、それに対して僕が声を荒げておらんだということはあります。だから、おらんだというようなことはあるんですけど、意見が単に合わんからだとかいうことではありません。

 

 

次は同じ場面について弁護側の伊藤貴仁教諭への尋問です。

 

伊藤貴仁教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:あなたは河村先生とほかの職員の間で何かトラブルがあって、河村先生がどなりつける、そういう場面を1回見ましたと言ってるんだけども、これはどの先生に対してどなりつけていたんですか。

その1回というのは私です。

弁護M:見たという表現だけど、自分のことを言ってるんですか。

はい。

弁護M:あなたをどなりつけたのは、意見が通らないとか、疲れているとき、そういうことを言いましたけども、具体的にはどんなことがあったんですか。

意見が通らないとか、疲れてるというのはほかの人から聞きました。私のときにはそういうことではなくて、生徒と何かもめてたので、間に割って入ったときにどなられました。

弁護M:そうすると、河村先生と生徒の間に何か問題があったときに、あなたが割って入ったということですか。

はい、そうです。

弁護M:それは逆のことであって、河村先生が生徒と話を聞いて、悩みを聞いてるときに、あなたが河村先生と生徒の間を裂こうとして、割って入ったのではありませんか。

その生徒は、先ほど言うた生徒ではない生徒です。

弁護M:別に私も同じ生徒とは言ってません。だから、河村先生がほかの生徒の悩みを聞いて、話を聞いてるときに、それをあなたは邪魔しようとして、間に入ってきたのではありませんかという質問です。

いえ、違います。

弁護M:あなたはこれまでの取調べの中に、河村先生が他の先生に自分から食ってかかってはどなり散らす、そういう説明をしておりませんか。

そこまでは言うてないと思います。

弁護M:先ほど、意見が通らないとき、疲れているときというのは、ほかの人から聞きましたということですけど、どなたから聞いたんですか。

数学科の先生とか。

弁護M:だれですか。

本宮先生。

弁護M:本宮先生、ほかには。

記憶では、高橋恭敬先生。

弁護M:ほかには。

教頭先生。

弁護M:いいですか。

はい。

弁護M:今言った方々は、この裁判でも検察側の証人になる方ですね。

だと思います。

弁護M:あなたの主尋問でも出てこなかったんですけども、河村先生とのあなたの間で、一番大きなトラブルというのは平成19年の7月に、1学期の生徒の評価点をつけるときのトラブルではありませんでしたか。

いや、違います。

弁護M:検察官から請求されている証拠にはなくて、開示をされた証拠の中にありましたけども、平成197月に生徒の評価について全員にAをつけているので、自宅に行って、いろいろ話をした。そういうトラブルがあったことを記載されてましたけども、そういうことはありませんか。

それはあります。

弁護M:ありますけど、そんなに大きいトラブルとは思っていないわけですか。

トラブルというよりも、それは私が言われただけですから。

弁護M:このときも、河村先生は数学科の本宮さんの指示に従って、資料を本宮さんに届けたのではありませんか。

いや、それは知りません。

弁護M:知らないというのは、どういうことやろうか。

このときの資料というのが、どれを指しているのかが分からない。

弁護M1学期の生徒の評価について、河村先生が評価の締切日に出していた中身について、先はど言ったように生徒全員にAの評価をつけているので、それで、学年主任であるあなたがわざわざ河村先生の自宅まで行って、変更を求めたのではありませんか。

はい、そのとおりです。

弁護M:そういうことがあったときに、河村先生とあなたの間でトラブルがあったんではありませんかということです。

奥さんとお話ししまして、河村先生は出てきたけども、トラブルというて、河村先生に個喝をされましたので、それをトラブルと言うなら、そのときのトラブルがあります。

弁護M:この生徒の評価のつけ方について教員の間、河村先生も含めてですけど、打ち合せはできていたんですか。

打合せができなかったと聞いているんです。

弁護M:河村先生の奥さんからは、そういう評価の仕方について河村先生とも十分、打合せをしてはしい、だから、仲間外れにしてほしくない、そういうような申入れが学校側にありませんでしたか。

それは知りません。

弁護M:校長なり、教頭なりから、そういう指導を受けておりませんか。

私は数学科じやないので、その点については知りません。

 

 

河村卓哉教諭は非常に熱心に授業をしていました。毎時間生徒に感想を書いてもらって授業の改善に役立てていたそうです。

そんな河村卓哉教諭からみると、数学への関心や意欲や態度は全員が「A」だった。それで、1学期末の評定一覧表にそのように記述した。

ところが学校側は、それはまずいと反応した。「B」や「C」もつけろと要求してきた。

終業式の日にふたを開けてみれば、勝手にある生徒に「C」が付けられていた。

その生徒の頑張りを知っていた河村卓哉教諭は、その生徒が落ち込んではいけないので一言「2学期がんばれよ」と声をかけようとした。

こういう事実があったのです。これは『土居中学校パワハラ救済のお願い』に仔細が書かれています。

 

さあ。そのときに、伊藤貴仁教諭が断固としてその生徒と河村卓哉教諭との間に割って入ったのです。

河村卓哉教諭は言います:

私は生徒に言葉かけをしたかって、しよったら、それを執拗に妨害されて、それに対して僕が声を荒げておらんだということはあります。

 

伊藤貴仁教諭はしかし、勝手に「A」の評定を「C」に変えたなどと言うことが明るみに出ては、保護者からの非難を浴びること必至ですから、河村卓哉教諭がその生徒にそのことを明かしてしまうと思ったのでしょうね。断固として妨害したのです。

生徒と何かもめてたので、間に割って入ったときにどなられました。

ぜんぜん話が違います。   大嘘なんですね

 

 

このようにして、

伊藤貴仁教諭は、平気でうそを言って、自分の都合のいいように持っていこうとする

のでした。

 

 

さて、そんな伊藤貴仁教諭は、1月16日の1カ月以上前から、M君が「教室には行けない」と訴えるのを無視して、平気でM君を連れ出そうとし続けてきています。

そして、そんなこととは知らない河村卓哉教諭は、1学期にはほがらかだったM君の表情が次第に険しくなっていくのを心配して見ていました。2学期のことです。

 

けれども、土居中は平成20年の1月5日の職員会で篠崎良治教頭のいうままに、「生徒を保健室からみんなの先生で連れ出す」ことを承認してしまうのです。

そして年が明けると、幹部教師たちは、苦しむM君を、12月までよりも一層露骨に連れ出すようになります。

 

篠崎良治教頭の指令の元、土居中教師集団がそのように動くようになってしまった のでした。

 

河村卓哉教諭は愕然としたことでしょう。

河村卓哉教諭は土居中の教師集団には、もはやM君を救うことはできないと悟ったのではないでしょうか。

 

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:意見が合わないからではなくて、どういう場合なんですかね。相手がからんできた場合ということですか。

いえ、からんできたというんでもないです。もうそれはからんでくるような、そういうまずいことはしませんから。

弁護M:次に話が変わるんですけど、これも事件の前の話なんですが、土居中でクラスを持って教えておられましたよね、少人数クラス。

少人数、はい。

弁護M:その生徒たちに、数学だよりというのを配布していましたか。

はい。

弁護M:これはどういう目的で作られたものなんですか。簡単でいいですよ。

簡単にですか。

弁護M:目的だけですから、どういう。

まあ言うたら、生徒と意思疎通をして、生徒の中に、分かるという感想を持つ子もおれば、分からないという感想を持つ子もいるんで、その両方を吸い上げて、分からないでもいいんだよという、そういうのを共通意識として持たしたかった、そういうもんです。

弁護M:実物がないので分からないんですが、要は、先生のほうから生徒たちに詳しいことを教えてあげるという内容がベースなんですかね。

いいえ。ベースは、生徒に毎時間授業の感想を書いてもらいよったんですけど、その感想をコピーして貼り付けて、それに一言自分の声を沿えて、それで印刷して渡す、そういうのがベースです。

弁護M:数学だよりの中に、あなたは、あなた自身がほかの先生からいじめられているという内容のことを書いて、配布したことがありますか。

ないと思います。そういうふうに言って、これも私じゃなくて、妻が責められたことはありますけど、そういうニュアンスのことを書いたことはありません。

弁護M:それは受け止めるほうによって違うという意味合いですか。

これはね、私も、なんでそういうふうに、そういう受け止めになるんだろうかと思って考えたんで、今でもその表現は覚えとるんですけど、「私が職員室でつらいことがあったとき」という表現です。

弁護M:あなたが思い当たるのはそれということですね。

そうです。

弁護M数学だより以外に、授業の中で、生徒たちにほかの先生からいじめを受けているというようなことを話したことはありましたか。

さっきのですね、M君なんですけど、彼が2学期からすごく表情が険しくなりました。あの子がどうしてと思うぐらいに険しくなって、遅れてものを取りに来るようなことが続くようになったんです。そういうことがずっと続いとって、11月終わりぐらいにそういうことがあったときに、伊藤貴仁教諭が、「先生、ちゃんと来たんだったら来たんで、次のとこへ行かしてくれ、保健室に来らしてたらいかんのや。」みたいなことを言うたんで、そのとき、僕もそれに対して「授業のじゃませんとってや。」という感じでおらびました。そのとき、生徒に、「彼はいじめられよる、みんなで守ったげてくれ。」というようなことを言いました。

弁護M:彼がということですか。

はい。

弁護M:今私がお聞きしてるのは、あなたがほかの先生からいじめられているようなことを、授業の中で生徒たちに言った事実がありますかとお聞きしてるんです。

そのあと、「わしもいじめられよるけん、よう分かるんじや、同じや。」と言いました。

弁護M:それはどういう効果をねらってという恥言われたことなんですか。

効果をねらうというようなんは全然ありません。とにかくもう彼を救いたいと、彼を助けてあげてくれと、みんな、彼を助けてあげてくれと、そういう思いです。

 

 

河村卓哉教諭は

なんとしてもM君を守ってあげたかった

のですね。喉から血の出るような訴えです。

 

 

しかし、笑えることなのですが、土居中幹部たちは、それを「守秘義務違反だ」として責めるのです。

なんでも“すりかえ”、なんでも“正当化”です。

ことの本質から周囲の目をそらせることに長けているのです。

 

 

河村卓哉教諭の証言から、当時の土居中学校の教師たちが、生徒の苦しみや悩みをめぐってどういう行動を取っていたのか、見てみましょう。

 

河村卓哉教諭の証言

池田副検事(検察I)の証人尋問

検察I:事件のことについて聞くんですが、伊藤先生が保健室に来て、合唱練習に参加しないかということを言ってきましたね。

はい。

検察I:そのときにあなたは、その生徒が行きたくないと言っているので、あなたが代わりにそれを言ったということになるんですかね。

はい。

検察I:その場合に、大声を出してどなって、保健室から出ていけというふうに言う必要はどうしてあったんですか。

いきなり大声じゃないんです。3回、「行けん」、「行けん」、「行けん」と言うたんだけど、彼は動こうとしなかったんです。それで、脅威と感じました。なんでかと言うと、それまでも何度かあったんですが、

例えば、12月25日に私がほかの生徒と保健室で話していたら、その生徒は、自分が名字が変わるんじゃというようなことを、つまり悩みを打ち明けてくれよったんです。そのときに、石川周治先生がやってきて、いきなり、「おまえの兄ちやんも何とかでのう」というように割って入って、そこへ貴仁先生も来て、間に入って、割って入るようなことをして、結局、その生徒の悩みをそれ以上聞けませんでした。そんな感じで、私が生徒の悩みを聞くとか、生徒と触れるというようなのを、すごく見張られとったし、妨害されとったというのがあって、

このとき、彼は、全然私が大声を上げてとかいうようなことをせんかったら、結局は前と一緒になってしまうんだと思って、そういう危機感がありました

検察I:脅威があったと言われましたけど、録音を聞いてもらった中で、伊藤先生は「何のこと」と言ってますよね。あなたが「行けん」と言ったことに対して、何を言っているか分からないという応対をしてますよね。それでも脅威を感じたんですか。

もちろんです。脅威です。そこは脅威です。さっき言うたように、普通だったら手でこう、僕が大声を上げよったらね、普通だったら、手で、どうしたん、ほいほいみたいな感じにするんですけど、そうじゃなくて、手であえて触らずに、こうやって体で押すということ自体が、そういう関係だということなんですね。

検察I:ちょっと待ってください。

伊藤貴仁先生が、僕が再三彼に代わって「行けん」と言うのに、全然動こうともせんかったということが脅威でした

検察I:言ってる意味が分からないというふうに言われても、脅威なんですね。

はっ?

検察I:先ほど言ったのは、伊藤先生は、「何のこと」というふうに言って、あなたの言ってることが分かうないと言われて、返答されてましたよね。

だから、12月の25日のそういうようなんで。

検察I:その前のことがあったからということですかね。

そうです、そうです。

検察I:そのあと、保健室の外に出ますよね。出た後で、あなたはどこへ行こうとしたというか、どうしようとしたんですか。その伊藤先生とか。

いえ、もう出てしまえば、それで良かったんです。それで、出て、ガラガラと戸が閉まって、とにかくそれで彼らが職員室へ戻ってくれたら、つまりM君を連れ出すということがなくなってくれれば、それで良かったんです。

検察I:あなた自身は、「連れ出してはいけない」とか、「連れ出すんじゃない」というような、具体的な話はその場で言ってないんではないですか、あのテープを聞いても。

とにかく保健室を出えということだったですね。

検察I:保健室を出たのであれば、落ち着いて理由を説明して話すというのが筋なんじゃないかと思うんですけど、そうなってはいませんよね。

それは事情聴取のときにも言ったと思うんですけど、それが通る学校じやなかったし、それまで4月から受けてきた仕打ちで、それは通らんと、彼は連れ出されていかれると、そういうふうに思ったんだと思います。

検察I:大きい声を出したり騒いだりすることしか、解決方法はないと考えたということですか。

というよりは、その点では、けっこう自分は冷静だったと思うんです。あの瞬間に、あそこで大声を上げんかったら、周治先生が入ってきとったろうし、そうなると、二人とも追い出すというのは無理だろうしというような感じでですね

検察I:あなたは子供を守るためというようなことで言われているんですけれども、言われてましたね、大声を出した際の理由というのは。

はい。

 

 

ここで、明らかになるのは、

幹部連中が河村教諭を完全に”排除”していた

ということです。

 

 

12月25日のことですが、普通教師が生徒と話しているとき、そこに割って入る必要があれば、「先生、ちょっとすみません」と言って許可をもらうはずです。

それを、なにも河村卓哉教諭にはいわずに、勝手に割って入って生徒に話しかける。それもどうでもいいようなことを。そこに伊藤貴仁教諭もやってきて間に入って、結局河村卓哉教諭はその生徒と話ができなくなってしまっています。

これは、明らかな妨害行為です。

 

 

河村卓哉教諭が生徒の悩みを聞くことを露骨に妨害しているのです。

だから河村卓哉教諭はそのやり方を脅威と感じたのです。

教育活動が妨げられるわけですから、当然でしょう。

実際に手を下さずに、河村卓哉教諭が丸でそこにいないかのように無視をして、ことを運ぶ。

これが、当時の土居中幹部教師たちが行っていた方法でした。

 

 

人権に関して認識があれば、これこそ、

河村卓哉教諭の人権を侵害している

ということが分かるでしょう。

手こそ出してないけれども、

伊藤貴仁教諭や石川周治教諭が行ったこの行為こそ

“暴力的行為”

なのです。

 

河村卓哉教諭の証言

池田副検事(検察I)の証人尋問

検察I:少なくとも、生徒の転校するという話を聞いたのが、その事件の直前であって、驚いたということがあったんですね。

はい。

検察I:それで、あなたはそこに伊藤先生たちが入ってきたので、腹を立てたということではないんですか。

腹を立てたんではありません。とにかく連れ出されるのを防ごうと思いました。

検察I:一般的な話ですけど、学校で悩みを抱えた生徒さんというのはいると思うんですけれども、そういう生徒さんに対して、どういうふうな問題の解決をしていくやり方をしていたんですかね。一人の教師が話を問いただけで、その先生が対応するという方法をとっていたんですか。

土居中ではということですか。

検察I:土居中ではというか、一般的な話として。

一般的には、もう聞いたときに、そこで生徒と教師の1対1の関係ができますから、そこで深く聞いてかかわっていくということになると思います。ただ、そこで学校全体として、ほかの先生に報告したりして、足並みをそろえていくという感じだと思います。

検察I:通常は話合いをして、協力関係を持って、複数人で当たっていくというのが通常のやり方なんですよね。

はい。

 

 

検察官は、一般的な話ではと言うことで尋問しますが、

当時の土居中学校が一般的な学校でなかった

ことはこれまでに確認された事例から、明らかです。

次の事例です。

 

河村卓哉教諭の証言

池田副検事(検察I)の証人尋問

検察I:それを通常考えるのではないかと思うんですが、この場合は違うんですか。

その前に、年末にAちやんという子がおったんですけど、その子が授業中にうつむいておりました。で、どうしたんと聞いたら、「私はうつ病じや言われたんよ。」と、それを言うてくれました。私自身のことがあるから、自分がうつ病じゃいうことを言うてくれたというだけで、「ええっ、それはもうそのままじやいかんやん。」というようなことを言うたんですけど、そこで、言うてくれたのは1対1の関係ですけども、当然それは学年として当たっていかないかんことだから、学年主任あるいは担任に言うたんです。言うたんですけど、全然反応が思わしくなくて、逆に星田先生もその子にかかわっておられたんで、深く心配されとったんで、学年団にかかわろうとしたけど、逆に学年主任からどなられたと言っておりました。

そういうことがあったんで、これは直接そこんところを言うてもいかんなというのが私の中であったんです。それと、何よりも彼が打ち明けてくれた中で、彼は「伊藤貴仁教諭と篠崎良治教頭を殴ってやりたい。」と言うたんです。「殴ってやりたいと思った、これまで何辺も思った。ただ、それをしたら警察沙汰になってしまうけん、それは我慢したんじや。」と言いました。

それだけの苦しみを与えとる当の本人がやってきたんで、これはどないしても離さないかんというのしか頭にありませんでした。

検察I:離さないかんというのは、引き離さなければいけないという意味ですか。

引き離すよりも、保健室から出てもらうという。

検察I:その直後だったから、そういうふうに思ったということですかね。

はい。

 

 

病院でうつ病の診断を受けたというAちゃん。1対1の関係で本人から聞いたんだけれども、河村卓哉教諭は自分の経験から、学校の先生みんなの共通認識がいると思った。そして、学年主任や学級担任に話したけれども

学年主任あるいは担任に言うたんです。言うたんですけど、全然反応が思わしくなくて

そのとき、星田真喜子教諭がAちゃんのことを心配していて、学年主任に話をしたんだけれども、

学年団にかかわろうとしたけど、逆に学年主任からどなられたと言っておりました。

逆に伊藤貴仁教諭から怒鳴られたというのです。なんと荒んだ学年団でしょうか。

 

だから、

生徒に関する重要なことも、話することができない。

それが土居中学校の教職員体制だったのです。

 

 

さて、河村卓哉教諭はMくんのことにも触れております。

何よりも、彼が打ち明けてくれた中で、彼は「伊藤貴仁教諭と篠崎良治教頭を殴ってやりたい。」と言うたんです。「殴ってやりたいと思った、これまで何辺も思った。ただ、それをしたら警察沙汰になってしまうけん、それは我慢したんじや。」と言いました。

ああ。

教師が生徒にそれほどのつらい思いを負わせてしまう。これが、土居中でした。

 

 

伊藤貴仁教諭は上記で明らかにしましたが、自分が河村教諭と生徒の間を割って引き裂いておきながら、逆に

生徒と何かもめてたので、間に割って入った

平気でうそを証言する人間です。

M君が嫌がっているのに、無理やり教室へ連れ出しておいて、あとから、「母親に教室へ連れて行くように頼まれていた」と、事実を捻じ曲げる土居中幹部教師の1人です。

 

 

 

問題なのは、

そこに教育はなかった

ということです。ただの管理しかなかった。

 

 

 

M君を1カ月以上にわたって徹底的に苦しめ続けてきた。

M君は、

「殴ってやりたいと思った、これまで何辺も思った。ただ、それをしたら警察沙汰になってしまうけん、それは我慢したんじや。」

心情をそのように吐露しているのです。

 

 

それを聞いた河村卓哉教諭は

それだけの苦しみを与えとる当の本人がやってきたんで、これはどないしても離さないかん

というのしか頭にありませんでした。

 

とっさにそう感じて、大声を出して伊藤貴仁教諭を保健室の外へ出した。そのタイミングでやってきた石川周治教諭も外に出したのでした。

 

転校を決意した土居中最後の日、

M君は守られたのでした。

 

 

 

 

 

熱田裁判長は、判決の中で次のように述べます。

 

 

判     決

 

(量刑の理由)

1 本件は、中学校教諭として勤務する被告人が勤務先の同僚1名に対して暴行の上で傷害を与え(判示第1)、更に勤務先の教頭及び同僚2名の名誉を毀損した(判示第21から第23まで)という事案である。

2 判示各犯行について

1)判示第1の傷害について

 

ところで、弁護人は、本件傷害事件の発端及び背景には、本件傷害事件当日保健室にいた男子生徒に対する伊藤教諭をはじめとする土居中学校の関わり方、指導方針に問題がある旨主張し、被告人も被告人質問においてこれに沿う供述をする。

しかしながら、中学校という教育の現場で、生徒が在校している時間帯に、しかも、上記男子生徒の目前で、同校の教諭である被告人が大声を上げて、同僚教諭らを保健室から追い出すなどした挙げ句に、無抵抗の被害者に対し、いきなり判示第1のとおりの暴力に及び傷害を負わせたものであって、

教育者の取るべき行為として常軌を逸しているというほかない。上記男子生徒に対する土居中学校の関わり方、教育方針の是非については、教育の現場で、話し合い、議論を重ねて、検討し、是正すべき点があるなら是正していくべきものであって、仮に土居中学校の関わり方等に問題があったと想定した場合でも、被告人の取った行動は到底許されるものではなく、被告人が教育者として生徒を指導していかなければならない立場にあることを考えれば、暴力行為に出た被告人の刑事責任は重い。

 

 

 

まず、石川周治教諭が無抵抗でなかったことは、すでに明らかになりました。河村卓哉教諭を体で押していたのです。

そして、暴力をふるってないことも、傷害を負わせてないことも明らかになっています。

 

さて、この(量刑の理由)の中で熱田康明裁判長は教育について長々と触れているのです。再掲します。

 

 

教育者の取るべき行為として常軌を逸しているというほかない。

上記男子生徒に対する土居中学校の関わり方、教育方針の是非については、教育の現場で、話し合い、議論を重ねて、検討し、是正すべき点があるなら是正していくべきものであって、

仮に土居中学校の関わり方等に問題があったと想定した場合でも、被告人の取った行動は到底許されるものではなく

被告人が教育者として生徒を指導していかなければならない立場にあることを考えれば、

暴力行為に出た被告人の刑事責任は重い。

 

 

ここで、「教育者」という言葉が出てきますが、

熱田康明裁判長は教育者とは何なのか、ちゃんと認識しているのでしょうか?

このことに大きな疑問を抱かざるをえません。

 

 

生徒の抱えていた苦しみを自分のこととしてとらえて、その生徒に寄り添おうとしていたのは河村卓哉教諭であります。

 

篠崎良治教頭や、伊藤貴仁教諭や、石川周治教諭や、高橋恭敬教諭や、本宮久忠教諭や村上正哲元校長は、生徒の苦しみに寄り添うどころか、M君に転校を決意させるような苦しみを与え続けていたのです。

こんな、幹部教師が「教育者」と言えるのでしょうか?

 

 

Mくんを守ろうとして、こんな腐った土居中幹部の中へ飛び込んで行った河村卓哉教諭こそ

真の教育者

なのではないでしょうか。

 

教育者の取るべき行為として常軌を逸しているのは、まさに、篠崎良治教頭や、伊藤貴仁教諭や、石川周治教諭や、高橋恭敬教諭や、本宮久忠教諭や村上正哲元校長ら幹部教師のほうだと断言できます。

 

これは、日本国民に問うてみる価値のあることでしょう。

 

 

判決文は、非常に不可解な主張を続けます。

上記男子生徒に対する土居中学校の関わり方、教育方針の是非については、教育の現場で、話し合い、議論を重ねて、検討し、是正すべき点があるなら是正していくべきものであって、

仮に土居中学校の関わり方等に問題があったと想定した場合でも、被告人の取った行動は到底許されるものではなく

・・・・・

 

    ?????????????????????

 

 

 

土居中学校には「教育」はなかった

のです。そこは単なる管理の場だったのです。

 

誰かをいじめのターゲットとして排除する、それを見せしめとして、教職員全体に秩序を作るような職場だったのです。そこにあるのは「話し合い」ではありません。ゆがんだ同和団体である土居人対協からの報復を恐れて、物を言えない場だったのです。

 

そのようなところで、「話し合い、議論を重ねて、検討」するということ自体が存在しないのです。

 

熱田康明裁判長には、全くその認識ができてなかった

としか言いようがありません。

 

 

 

 

けれども私たちは、この裁判の証言のみから、ここまでを検証してきました。一体熱田康明裁判長は証言記録を読みなおしたのでしょうか?最低10回くらい読みなおせば、今述べたこと、これまで検証してきたことには、気がつくはずです。

私には、熱田康明裁判長はその労力を怠っていたとしか考えられません。

これは裁判長という重責につきながら、その責任を放棄しているということではないでしょうか。

 

 

 

そして、上の判決文で目が点になってしまうほどおかしい部分があります。

仮に土居中学校の関わり方等に問題があったと想定した場合でも、被告人の取った行動は到底許されるものではなく

 

 

土居中学校に致命的な問題があったことは、証人尋問から明らかです。致命的な問題とは

教師が集団で組織的に生徒をいじめる

と言うことです。

 

 

仮にそのようなことを想定した場合でも、

大声を出していじめの張本人を被害者から遠ざけようとすることが、許されないことなのでしょうか?

 

もしも、自分の子供が今目の前でいじめに連れ出されようとしているとします。その時大声をあげて止めない親がいるでしょうか?

 

 

熱田康明裁判長の判決文は全くの他人ごとなのです。

そこに「教育」はありません。教育について分かってない者が、教育を語ったことが、こんなおかしな判決文を生み出してしまった原因なのだと思われます。

 

 

 

土居中学校にいかに「教育」がなかったか、河村卓哉教諭の証言からさらに拾い出してみましょう。

 

星田真喜子教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:ちょっとよう分からんが、河村先生自身は病気で復職されて、病気の後で土居中に来ているので、非常に体調の具合が悪かったんではありませんか。

悪かったと思います。

弁護M:保健室にも休みに来ることはあったんですか。

ありません。

弁護M:それはどうしてですか。

私に迷惑をかけてはいけないと「休みに来てください、しんどいときには。」と声をかけることが何度かありましたが「自分に声をかけんように」と「自分に声をかけよったら迷惑かけるから。」ということを、そのたびに言われてました。私が声をかけるたびに、そんな返事がありました。

弁護M:河村先生に声をかけると、なぜ迷惑になるんですか。

ほかの先生も特別視していたんじやないかと思いますが、管理職は、例えば言っていいでしょうか。

弁護M:そういう具体的な話は、さっきから全然分からないのよ。

例えば、教頭先生は保健室に入ってきて「河村先生がここに来よるか。」ということを尋ねてきて「来ません。」と言ったら「いつ来るか、来た日とか内容、そんなことを自分に知らせてくれ。」「子供になるべく会わさないように。」ということを言われました。それはなぜかと、あう、これはいらないかな。

弁護M:どうぞ言ってください、それはなぜなんですか。

それはなぜかと聞きましたら「今まで自分たちはすごくいい学校にしてきたので、河村先生のように、病気の人が学級担任をしていることは子供にも悪い影響があるし、うつ病の先生に教えてもらうということを親が知ったときに、親も嫌がると思うから、そういうので学校がごたごたしたら、せっかく自分たちが作ってきた学校が、また元のようになるから、嫌なんだ。」というようなことを言われました。

で、校長先生に「そのことはおかしいですよ。」ということを言いましたら、校長先生「でも、河村先生は8時間働らかんけんな。」というようなことを言われていました。「結局、病気の先生はもたんのよ、辞めないかんようになるんよ。」というようなことも校長先生から言われました。

弁護Mそうすると、教頭や校長さんは、うつ病を経験されて、しんどそうにしている河村先生を早く辞めてもらいたかったというふうに思ったということですか。

私はそうとりました

3年の学年、学年朝会というのがあります。1年、2年、3年の学年は、それぞれ違うところで学年朝会というのをしますが、伊藤先生があるとき「河村先生に辞めてもらいたい人は手を挙げ」、というようなこともしたそうです。それは学年団の先生から聞きました。もうとても腹が立ちましたが、そういうこともしていたそうです。手を挙げた先生もいたそうです。

弁護M:その学年朝会というのは、朝の会という意味なんですか。

はい。

弁護M:実際、河村先生自身も、4月は大変しんどかったということを言っているわけですけども、それを手助けしようというんですか、サポートというんですか、そういう気遣いをしようという先生はいないわけですか。

いたかも分かりませんが、私はほとんど保健室で子供の対応をしていましたので、私は目にしていませんが、ほかの人も管理職の目を気にして、多分あいさつするのも怖い、そんな気持ちでいたんじやないかなと思います、そうでない先生もいたかも分かりません。

弁護M:今言われている管理職というのは、校長や教頭ということを指すわけですか。

校長、教頭、教務主任、学年主任、同和推進主任、生徒指導が私たちでいう、私たちの上司ととっています、私は。

弁護M:全部役職名で言われるとよく分からないので、今言ったのはだから、校長さんと教頭さんと、教務主任は高橋。

高橋恭敬先生、本宮先生、石川周治先生です。

弁護M:いわゆるランチルームで食事をされてる方ということですか。

そうですね。

 

 

なんともひどい、荒んだところです。

 

篠崎良治教頭 は、保健室に入ってきて

「河村先生がここに来よるか。」

「いつ来るか、来た日とか内容、そんなことを自分に知らせてくれ。」

「子供になるべく会わさないように。」

と言ったのですね。この時点では、篠崎良治教頭は星田真喜子教諭のことを手下だと思っているのでこういうことを言ったのでしょう。

 

ここで一つ分かることは、篠崎良治教頭が、このように《スパイの役目》を言いつけるのは、星田教諭だけではない、ということです。

当時土居中にいた教師皆に、そういう指示を出していたと思われるのです。

 

 

 

村上正哲元校長 は、

「でも、河村先生は8時間働らかんけんな。」

「結局、病気の先生はもたんのよ、辞めないかんようになるんよ。」

と、もうすでに河村卓哉教諭がやめるような前提で話しています。

 

 

 

ちょうどこのころ、村上正哲元校長と篠崎良治教頭と河村敏和次長が、河村卓哉教諭本人ではなくその奥さんに、「授業時間以外は病気休暇にせよ」と指示を出しています。

河村卓哉教諭は、このことで「退職に追い込む気だ」と非常に大きい圧力を感じたようです。

つまり、幹部教師たちは、教師を辞めさせるなどと表向きは口に出してはいませんが、このころから河村卓哉教諭を退職に追い込もうという魂胆があったとみられます。

 

 

 

河村卓哉教諭も星田真喜子教諭も、何かおかしいと感じていたのでしょう。

 

 

 

伊藤貴仁教諭 は、学年朝会で

「河村先生に辞めてもらいたい人は手を挙げ」

 

と言っています。このことの意味は深淵です。すなわち、いじめをしている者が、幹部連中だけではないということです。

ふつうなら、こんなことを言ったら

   「何いよるん!? 馬鹿なこと言うな。」

と言われるでしょう。朝の学年朝会で平気でこんなことがいえると言うことは、

すでに、第3者である傍観者の教師たちをも灰色に染めている

ことを表しています。

 

 

 

だから

ほかの人も管理職の目を気にして、多分あいさつするのも怖い、そんな気持ちでいたんじやないかな

 

 

星田教諭は、そう感じていたのでしょう。

当時、土居中学校では、生徒の気持ちがよくわかる教師ほど、篠崎良治教頭らからは警戒され、このような陰険な手口でいじめを受けたそうです。

 

 

まとめておきましょう。

当時の土居中学校では、次のことが当たり前に行われていました。

教師が集団で組織的に生徒をいじめる

教師が集団で組織的に教師をいじめる

 

 

 

 

なお、M君をいじめていた彼らの陰の会話はこちらからどうぞ

また、河村教諭をいじめていた彼らの陰の会話はこちらからどうぞ

 

 

 

 

初めに戻る