ま ご こ ろ 広 場
【1】完全な間違い これは、大いに笑える判決です。 いかに、長谷川憲一裁判長が第1審の裁判資料を読んでないかが一目瞭然なのです。 陪審の、赤坂宏一裁判官も渡邉史朗裁判官も若く、長谷川憲一裁判長には何も言えないのでしょう。3人が、愚かさを晴天の下にさらけ出した判決です。 では、彼らが、いかに第1審の裁判資料を読んでないかがわかるところを見ていきましょう。
河村教諭が 被害者の左あご付近に自分の肘が当たったことは認め ているのだそうです。 大笑いです。河村教諭は、 「自分の左肘が、石川周治教諭の、右頬か顎か右首あたりに当たった」 と言っているのです。石川周治教諭の左あご付近に自分の肘が当たったなどとは、一言も認めてはいません。 左と右では大違いであり、石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭の証言(偽証)とは真っ向から対立しているのです。 右と左では大違いです。こんな大切な点を判決文で間違うとはなんと言うことでしょう。 いかに裁判長のレベルが低いかがこれで露呈してしまいました。 まとめておきましょう。 長谷川憲一裁判長たちは、第1審の裁判記録をろくに読んでない。 【2】石川教諭の証言を「信用できる」とした過ち さて、長谷川憲一裁判長は、判決理由の中で、石川周治教諭の証言を取り上げます。
そして、その証言に対して次のような断定を下すのです:
「不自然、不合理な点はなく」? 「反対尋問にも動揺しておらず」? 不自然、不合理だらけであったことは、この『まごころ広場』で証明済みです。 また、弁護団の追求に動揺しまくったことも、裁判の速記メモを見れば明らかです。 にもかかわらず、他に何の理由もなく、 それ自体十分信用性が高い。 と断定してしまいます。 恥花火の打ち上げ第二号です。なんとまあ、よくもこうまではっきりと断定したものです。 彼ら(石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭)の証言が矛盾しまくっていることから信用性がないのが明白であり、もしその信用性を論ずるとするならば、それなりのよりどころとなる証拠が必要なのです。 にもかかわらず、その検証を一切せずにいきなり それ自体十分信用性が高い。 と断定するとは、一体どういうことでしょうか!? このあと、長谷川憲一裁判長は、さらに、伊藤貴仁教諭と本宮久忠教諭について、
このように、石川周治教諭のときと全く同じように、 《一方的に決めつけ》て断定 しています。そこがまちがいなのです。 まとめておきましょう。 長谷川憲一裁判長たちは、証拠もなにもなく、一方的に決めつけて断定した。 【3】推論の誤り … 証拠裁判主義に逆行 では次に、長谷川憲一裁判長の推論の誤りについて指摘しておきましょう。
これは何を言っているのかと言えば、最初に証拠も検証も何もなく裁判長の主観で一方的に決めつけた石川周治教諭や伊藤貴仁教諭や本宮久忠教諭の供述が信用できることから、それと真っ向から対立する河村卓哉教諭の証言は信用できない、と言っているのです。 【大前提】 石川周治教諭の証言は十分に信用できる。 【ステップ】河村卓哉教諭の証言は石川周治教諭の証言と対立している。 ↓ 【結 論】 河村卓哉教諭の証言は信用できない。 子供だましですね。もっともらしく難しい法律的な言い方こそしていますが、中身は、これだけのこと。中身がないのです。 対立している片方が信用できるから、他方は信用できない、と、当たり前のことを入っているだけ なのです。 証拠裁判主義のかけらもないのです。 もう一つ見ておきましょう。
いずれも、「石川周治教諭の供述に依れば」と言うことのみが唯一のよりどころなのであって、他の様々な観点は一切省略です。 情けない限りです。 一国の裁判長が、こんなことでいいのでしょうか!? 上記の判決理由の中で、「3週間後に治癒した」と言うところは、決定的に重要なところです。 安藤医師の証言記録とカルテの分析が絶対に欠かせないのに、それには一つも触れていません。 ほんとうに「全治3週間」の怪我だったのか? そもそも、ほんとうに怪我をしていたのか?ということの検証は最大の課題なのですが、
長谷川憲一裁判長は、「一定の強度があった」、「相当強かった」、「強く」、「手加減していたことがうかがわれる」、「一定の強度がある」このような表現を市、それはすべて石の客観的証拠に基づくものではなく、彼の主観的な判断に過ぎないのです。しかも、その主観的な判断というのは、最初の大前提である「石川周治教諭の証言は十分石川周治教諭信用できる」から来ているのだから、なにをか言わんやです。 手加減している(?)とはいえ一定の強度があるのなら、実際にそのような肘打ちを頬に食らってみてどのようになるか、長谷川憲一裁判長直々に我が身で確かめてみてはいかがでしょうか? 口の中は切れないか? 頬は腫れないか? 赤くならないか? 内出血しないか?骨にひびが入らないか? 数日後青くならないか? …などなど。 この「事件」がほんとうに傷害事件とされるためには、客観的科学的物証が必要なのです。 それもなしに、自己ひいきの証人の証言だけから決めつけるのは、「疑わしきを罰する」という、民主主義の精神に逆行するものです。 では、長谷川憲一裁判長の推論の誤りについてまとめておきましょう。 長谷川憲一裁判長は、唯一石川周治教諭の供述が信用できるとしたことのみを根拠に、推論(?)を進めている。 【4】音声データについて(1) 物証として、音声録音については取り上げています。 しかし、そこでも、ことごとくに長谷川憲一裁判長は自己の愚鈍さを明かしました。
これは、平成20年1月16日に河村卓哉教諭が帰宅してからの奥様との会話の一部ですが、問題点が1つあります。 問題点の1つめは、自分の都合のいいように、一部分だけを取り出していること。時系列もめちゃくちゃです。即ち、《嘘》と《冗談》の区別もつかないように、これは意識的に故意にでしょう、都合のいいように取り出している。 これについては、この『まごころ広場』でも詳しく見たのでこれ以上ここで再起するのは避けます。 問題点の2つめは、やはり『まごころ広場』で指摘したことですが、信用性が高いのであれば、 「『これどうしてくれるん?』言うて、反対側押さえよんよ。」 と言った河村卓哉教諭の発言はどうなるのでしょう? 信用性が高いのだから、石川周治教諭は実際に河村卓哉教諭の肘が当たったのとは反対側を押さえていた、それも「強く推認される」わけです。 つまり、 実際に河村卓哉教諭の肘が当たったのは、河村卓哉教諭が主張するとおり、石川周治教諭の右頬か右あごか右首あたりだった ということになるのです。 したがって、石川教諭の左頬には、何も当たってないし、さわってさえもいないのです。 長谷川憲一裁判長は、この夫婦の会話の「信用性が高い」と判断を下したことによって、皮肉にも、石川周治教諭が偽証していたことを認めたことになったのです。 まとめておきましょう。 長谷川憲一裁判長は、皮肉にも、 石川周治教諭が偽証していたことを認めた 【5】星田眞喜子教諭の証言について ここで、河村卓哉教諭側の証人星田眞喜子教諭に関する部分を見ておきましょう。 長谷川憲一裁判長は、すでに河村卓哉教諭有罪の結論ありきで推論を組み立てていますので、星田眞喜子教諭の証言は「信用できない」とする必要があります。 そのために使ったのが、星田眞喜子教諭の捜査段階での供述です。
これも、推論のいい加減さが際立っています。 星田眞喜子教諭は、河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭の右頬あたりに当たるところは見てないのです。星田眞喜子教諭の立ち位置からは、石川周治教諭の右頬というのは反対側になるからです。見えないのです。だから、はじめに 「河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭に当たるところは見ていない」 と供述したのは正しいのです。 では、どうして、それが「当たった」に変わったか?「当たったのかな?」と思うところがあったからです。それを、池田副検事が「殴るのを見たでしょう!?」と何度も訊いてくるから、「いいえ殴るのは見ていません。当たるのは見ました」と答えたのです。 つまり、「当たるのを見た」は検察の誘導だったわけです。 ですから、当たるのは見えてないのだけれども、今当たったのかなと言うのはあった、これが星田眞喜子教諭の主張しているところであり、何の不自然もありません。 ここで、問題としたいのは、検察が何度も星田眞喜子教諭を呼び出して、河村卓哉教諭を起訴するための河村卓哉教諭側の「証人潰し」をやっていたという事実です。 それを、こうして検証することもせずに、 その変遷に合理的理由がない。星田証人の原審公判供述は信用できない。 と決めつけているのはなぜか? ここで、ある疑問が浮かび上がってきます。 それは、 検察と裁判所はぐるになっているのではないか? という疑問です。この疑問は、第1審の判決時点で浮かび上がってきていたのですが、長谷川憲一裁判長の高裁判決でいっそう濃厚に浮かび上がってきました。 そこでこの節では、「?」をつけた仮説の形でまとめておきましょう。 検察と裁判所は癒着している? 【6】音声データについて(2) では、本判決でもっとも愚かな厚顔無恥な部分を指摘しましょう。それは、
「音声のデジタルデータは、素人でも簡単に音声上痕跡を残さずに加除訂正をすることができることはよく知られているところである。」 と、こう来ました。 それって、あなたの思い込みでしょ? そういいたくなりますね。 長谷川裁判長は、科学的に、「音声上痕跡を残さずに加除訂正」できる可能性について調べたのでしょうか? そのために、弁護側から、音声データの鑑定書を証拠申請していたのではありませんか? 当然証拠採用すべきだったでしょう。 検察にも当然開示請求すべきだったでしょう。検察も、「編集しているはずだ」と言うからには、「ここで編集している」と言う箇所を鑑定しているはずでしょうから。 しかし、それらをすることなく、「却下します」の一言で片付けておいて、上のように断言する資格はありません。根拠もありません。 音声鑑定に関する弁護側の証拠申請を却下しておいて、上のように決めつけるのは、公平を欠きます。請求権を拒否したのです。著しく日本国憲法に違反しています。 ところで、実際、アナログデータよりもデジタルデータは、編集痕を見つけるのが難しいのです。 だから、「編集痕が見つからなかったからと言って、編集をしてないとは言えない。」というんですね。 おいおい、ちょっと待てよ。 ここで大事なのは、ほんとうに編集痕があるのか?ということでしょ? 「音声データを編集している」と主張したのは検察側です。 検察側が編集痕があることを証明しなければならない んです。そうして、編集痕があると鑑定されて初めて、「編集している」と言えるのです。 ところが、厚顔無恥の長谷川憲一裁判長は、 編集痕が見つからなかったからと入って、編集をしてないとは言えない。 ↓ 被告人の一個の発言の中で口調が不自然に変化する部分がある ↓ 元々の音声データから加除訂正されたものと認められる と、こう結論づけてしまうわけです。なんというむちゃくちゃな論理でしょう。 いえ、論理も何もあったものではありません。 ただの決めつけでしかありません。 まとめておきましょう。 長谷川憲一裁判長は、音声データの 加除訂正をむりやり作り出した! そのために、請求権の拒否という憲法違反を犯した。 【7】名誉毀損について 最後に、名誉毀損の件での、長谷川憲一裁判長の決めつけを指摘して、この稿を終わりたいと思います。
「事実無根のねつ造情報」、「ねつ造情報」、「根も葉もない事実」、「単に被害者らへの嫌がらせ」と、長谷川憲一裁判長は、「事実じゃないことを書き込んだ」と強調しています。 こんなに何度も強調するからには、強調しなければならない理由があったのでしょう。 すなわち、この『まごころ広場』で考察したとおり、 事実が書き込まれた のだということです。 また、『土居中☆現役&卒業生☆集まりんしゃい』は、転校した生徒のことまで誹謗中傷するようになったので、そういった生徒たちを守るため、河村卓哉教諭が対抗する書き込みをしていたのです。それも、この『まごころ広場』で検証したとおりです。 長谷川憲一裁判長は、『土居中☆現役&卒業生☆集まりんしゃい』にはおそらく目も通してないのでしょう。 また、「上記の書込みが、インターネットの別サイトに転載され」た事実があり、高裁の被告人質問で河村卓哉教諭は検察官に厳しく言いました。 「それは自分ではない。プロバイダーに立ち入り調査をして誰が立ち上げたのか調べてほしい。」 しかし、検察官はそれをやってないようです。今もな残っているからです。 ここに来て見えてきたことは、この「上記の書込みが、インターネットの別サイトに転載され」たのが誰によってなされたのかと言うことです。 星田眞喜子教諭の時と同じように、河村卓哉教諭を罪に陥れるのに必要なものを何者かが用意した。 すなわち、 その結果は重大であると言わざるを得ない。 反省の念も希薄である。 と判決文に書かしめる材料です。 今も、「インターネットの別サイトに転載されて残っている」から「その結果は重大であると言わざるを得ない。」と言わしめる材料です。 (この別サイトへの転載を行ったのは、検察側の人間でしょうか??) まとめておきましょう。 検察と裁判所は、有罪にするために 都合のいいように事実をねじ曲げ、 陥れ工作をする。 |
このようなサイトが出ています(2012年6月)。