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土居中事件

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土居中事件は、単に教員たちがトラブルを起こしたというものではありません。

その後の対応の悪さが、事件化を実現させてしまったと言えるのではないでしょうか。、

とはいっても、この場合土居中の幹部教師は、全部グルだと考えられますから、ここで重要な役割を果たすべきなのは市教育委員会(市教委)だったのです。

では、市教委は、どのような対応をしたのでしょうか?

 

河村敏和元次長の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、今回の問題の平成20年1月16日のことを聞きますけども、このときに河村卓哉先生と石川周治さんの間でトラブルがあったんですが、教育委員会のほうにはいつごろ連絡がありましたか。

その日、1月の16日の夕方だったと思います。

弁護M:それで、学校に行ったんですか。

はい。

弁護M:次長さんと、どなたが行ったんですか。

私一人で行きました。

弁護M:それで、夕方連絡があって、大体学校には何時ごろ行かれたんですか。

4時過ぎぐらいであったように思います。

弁護M:学校に行ったときに、警察官はいましたか。

いいえ、見えませんでした。

弁護M:そうすると、警察官が帰った後だったということですか。

と思います。

弁護M:それで、4時過ぎぐらいに行って、どなたから事情を聞きましたか。

そこにおいでた教頭先生校長先生だったんですが、それから、高橋先生もいてたと思うんですけども、その中、校長先生とか教頭先生とかから話を聞きました。

弁護M:今言われた高橋というのは、高橋恭敬さんのことですか。

そうです。

弁護M:その3人から事情を聞いたことは覚えておるんですか。

高橋先生から特にどうのこうの言うて耳に入ってきた、直接やり取りというのはあったかなかったか、今、余り自分は覚えておりません。

弁護M:今の場面なんですけど、河村次長さんが一番トップでしょう。

はい。

弁護M:それで、河村次長さんがトップやけど、河村次長さんにだれかが説明するんじゃなくて、だれかとだれかの間でやり取りをしてるのを、あなたが聞いてるということですか。

いえいえ、そういうわけではございません。

弁護M:ないでしょう。

はい。

弁護M:あなたがその場のトップなんだから、あなたに皆さんが説明するんじやありませんか。

はい、そうです。

弁護M:校長、教頭、高橋恭敬さんの名前が出ましたけど、その3人はどんなことを言ってましたか。

保健室の前だったと思うんですけれども、そこで生徒のことでトラブルになったと言い合いになって、そしてここではいけないからということで、近くの部屋に移ってもらおうとしたそのときに、石川先生が胸で、胸を使いながら誘導していこうとしたと、そのときに、河村卓哉先生が石川周治先生の顔をひじで殴打したというふうな内容であったように思います。                   

弁護M:今言われた中で、胸を使いながら誘導するというのは、どういうことなんですか。

両手を広げ、胸で、広げて胸でこう誘導というんですかね、こう、こっちへ行こうやというような感じでしたと。

弁護M:押していってるということですか。

まあそうでしょうね。

弁護M:それで、石川先生の顔をひじで殴打した。

はい、殴ったということですね。

弁護M:どういうふうに殴ったんですか。

いや、そのあたりについては詳しくは聞きませんでした。

弁護M:単にひじで殴打したという説明だったということですか。

そうですね。

弁護M:石川周治先生からは事情は聞かなかったんですか。

たしか、そのときは病院に行かれていたように思います。

弁護M:石川さんは病院に行ったので、1月16日には事情を聞いてないということですね。

そうでございます。

弁護M:次は、河村卓哉先生からの事情は聞きましたか。

明くる日に、朝だったと思います。教育委員会のほうに来ていただいて、お話を聞きました。

弁護M1月16日に聞かなかったのはなぜなんですか。

卓哉先生はそのときに姿が見えなかったわけなんです。

弁護M学校内でいなかったということですか。

そのあたりは、私のほうでは、そのときには確認・・、ほかの先生に卓哉先生はどこにいるかというようなところで話を聞いたら、姿が見えないということでありましたので。              

弁護M:今言ってることで、姿が見えないとなったら、どうなったんかということで調べなかったんですか。

はい、それ以上は話はしておりません。

弁護M:そうすると、当事者からは直接話が聞けなくて、校長、教頭、高橋恭敬さんの3人から話を聞いたということでいいですか。

そうですね。

 

 

この証言から分かることは、河村敏和元次長は、村上正哲元校長と篠崎良治教頭から事情を聞いた、ということです。また、そこには高橋恭敬教諭がいた。

これらの人物は全員、河村卓哉教諭を潰そうとしてきた『ランチルーム』のメンバーの一群です。

村上正哲元校長と篠崎良治教頭は、「自分はその時いなかった」と言っているけれども、先に明かしたように、肘が当たった直後2人とも廊下にいました。そこで、自分の知っている範囲で説明したのでしょう。

ここで興味深いのは、

石川先生が胸で、胸を使いながら誘導していこうとしたと、そのときに、

と、

「石川周治教諭が胸で押していた」

という事実を証言した

ことです。

 

石川周治教諭はじめ、ランチルームのメンバーは、石川周治教諭が河村卓哉教諭を胸で押していたという事実を否定していますから、第3者の河村敏和元次長からこの証言が出たのは非常に信頼性が高いのです。

おそらく、一番近くに寄ってきていた村上正哲元校長がそのように説明したのでしょう。

 

さてしかし、

はい、殴ったということですね。

と言うのは誰から聞いたのでしょう?おそらく、篠崎良治教頭でしょう。篠崎良治教頭は石川周治教諭が安藤外科から帰ってきたら「診断書を取るように」言って再度安藤外科へ行かしているのです。

 

そうすると、河村敏和元次長は、「河村卓哉教諭が石川周治教諭を殴った」という誤情報をここで刷り込まれてしまったわけです。

 

 

平成19年6月1日のことでもそうなのですが、

河村敏和元次長は、中立の立場にいるとは言えません。

それは4月からずっとそうだったのです。

 

6月1日に村上正哲元校長は《授業以外は病気休暇にせよ》という命令を河村卓哉教諭の奥さんに出します。その時、篠崎良治教頭とともに同席していたのが河村敏和元次長だったのです。

 

篠崎良治教頭が中心になって河村卓哉教諭の追い出し作戦を考える。それに、賛同して子分たちが動く。ここで言う子分の範疇に、村上正哲元校長も高橋恭敬教諭も伊藤貴仁教諭も石川周治教諭も本宮久忠教諭もみな入っているということです。

 

一方、もう一人の当事者の河村卓哉教諭はどうだったのでしょう?

1月16日に聞かなかったのはなぜなんですか。

卓哉先生はそのときに姿が見えなかったわけなんです。

というわけで、その日河村卓哉教諭からの聞き取りをせぬまま、河村敏和元次長は委員会に帰っています。

 

この時点で、河村敏和元次長は 最大の間違い を犯してしまったことが分かります。

すなわち、

トラブルの一方の言い分だけを聞いて帰ってしまった

ということ。

河村卓哉教諭が5時を過ぎて探したらもう帰っていた、というのなら、土居中から河村卓哉教諭の自宅に電話することもできるわけです。

 

 

河村敏和元次長の最大の過ちは、

 

4月以来ずっと、

土居中幹部たちの側について、幹部たちの肩を持ってきていた。

 

土居中幹部たちの言うことを一方的に信じてきていた

 

ということに尽きると思います。

 

河村卓哉教諭の奥さんは、平成20年の2月に、市教委で話し合いに参加しています。

 

 

河村まゆみの証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:今の流れだと、平成20年1月ごろは事件があっても、教育委員会とか、学校のほうでも謝罪し合うということで、解決のめどもあったんですけども、その後はそういう話合いは一切ないわけですか。

2月に入ってから、学校長と教育委員会と私のほうで話合いを持ったらどうかということは、教育委員会のほうから提案がありましたし、実際に持っていただきました。

弁護M:どんな話があったんですか。

そのとき教育委員会のほうから私に伝えてみえたのは、主人の土居中への復帰については、山内クリニックの先生は1か月単位で休みということを、診断書を先に出しておいでましたので、教育委員会もできれば復帰をさせてやりたいという意向がありましたから「卓哉先生が復帰するのに、どういう配慮を学校側がしたほうがいいのかということを奥さん、話に来てください。」というふうに言われました。

弁護M:話しに行って、学校側は何か配慮をしたんですか。

いえ。1回目に話に行ったときには学校長のほうから、河村は石川さんを殴ったと。その昔を聞いた先生もいるから、大変なことをしていると、そのことを生徒たちにも説明をしているから、学校に来てもらったら、やっぱり困るというような話だったように記憶しています。

弁護M:そのあと奥さんのほうが、法務局のほうに、人権侵害で被害届も出されてるんですか。

はい、出しました。

弁護M:それはどんなことからなんですか。

2月の1回目の学校長を交えての教育委員会での話合いが終わった後で、学校のほうは、1月16日は主人が事件を起こしたというふうな説明を保護者や生徒たちに対してしているから、そうなんだというような態度でしたので、これはどうも違った方向に向いていくんじゃないかという危機感と、それから4月、5月ごろからずっと主人に対してあったパワーハラスメント、その両方に関して法務局へ被害届を出しました。

 

 

2月に入ってから、学校長と教育委員会と私のほうで話合いを持った

教育委員会もできれば復帰をさせてやりたいという意向がありました

というのですね。教育委員会は次のように言っています。

「卓哉先生が復帰するのに、どういう配慮を学校側がしたほうがいいのかということを奥さん、話に来てください。」

 

ところが、土居中の村上正哲元校長はこういったのです。

河村は石川さんを殴ったと。その昔を聞いた先生もいるから、大変なことをしていると、そのことを生徒たちにも説明をしているから、学校に来てもらったら、やっぱり困る

 

この話し合いは2回持ったけれども、村上正哲元校長は態度を崩さず、とうとう奥さんは法務局へ訴えることになります。

 

 

市教委は、両者が和解できるようにそして河村卓哉教諭が学校に復帰できるように話し合いの場を設定しようとしました。

しかし村上正哲元校長はそれを簡単に蹴りました。

市教委の指導力が弱い

としか言えません。

 

 

 

この背景は、(またまた出てきましたが、)同和団体なのです。土居中学校の後ろに土居人対協がくっついていて、何かあれば強く文句を言って脅してくるため、市教委もそれに気兼ねして強い態度に出られないのです。

また、村上正哲元校長や篠崎良治教頭などは、土居人対協の言う通りにしていれば安泰なのです。逆に村上正哲元校長など、土居人対協に逆らったりしたら首が飛びます。

このような関係があったために、せっかく市教委が開いた話し合いの場も、解決の場にはならなかったのだと考えられます。

 

 

 

土居人対協に逆らえない市教委

 

 

 

 

 

 

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このようなサイトが出ています(2012年6月)。

土居中学校に連帯