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土居中事件

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この、平成20116日の四国中央市立土居中学校の保健室前廊下における騒動は、警察沙汰になるようなことではありませんでした。

被害者であるという石川周治教諭が何の怪我もしていないことに着目しましょう。

だから、安藤医師が判断ミスをして3週間の診断書を出すようなことをしなければ、また、四国中央署が石川周治教諭にアドバイスまで与えて被害届を受理するようなことをしてなければ、起訴されるようなことではなかったのです。

誰が考えても、そういうことです。

 

そうすると、一体どこから、このような流れが作られていったのでしょうか?

 

ここに、非常に重要なカギを握る人物がいます。高橋恭敬教諭です。

1月16日の午後3時10分に、警察に電話した人物です。

 

 

【5】高橋恭敬教諭の悪意と暴走

高橋恭敬教諭の証言

検察I(池田副検事)の証人尋問

検察I:近づいていくと、どういうことが起きましたか。

近づいていくと何かが動いて、一瞬、場に沈黙というか、「あっ」というふうなちょっと空気が変わりました。

検察I:それからどうなりましたか。

そのあと本宮先生が「今、殴ったろう。」というようなことを言いました。

検察I:本宮先生がそう言った後は、何がありましたか。

本宮先生が私のほうを見て、殴ったんじゃみたいなことを訴えてきました。

検察I:どのように訴えてきたんですか。

目が合ったんです。目が合って、手で、この感じで、殴っとるみたいな感じで、殴っとるから何とかこれを対応してくれというような感じの訴えを目でしてくれました。

検察I:すみません。こんな感じというのを今、動作でやってもらったんですが、もう一度その動きを、立った状態でやっていただけますか。

はい。右手だったと思うんですけど、こんな感じだったです。2回ぐらいしたと思います。

検察I:右手をグーにして、右ほはに2回ほど動かして、殴ったという状況を示した、こういうことでよろしいですか。

はい。

検察I:そのしぐさを見て、証人はどう思いましたか。

これは河村先生が石川先生を殴ったんだなと思いました

検察I:本宮先生のしぐさがあった後、つまり、殴ったというしぐさがあった後、被告人はどうしていましたか。

どうしていたかは知りません。

検察I:まだ大きな声を出していたのか、黙って座ったのかという。

興奮状態は続いていました。

検察I:本宮先生からのしぐさを見て、声を聞いてしぐさを見て、証人はどうされましたか。

これは大変だと思って、校長先生、教頭先生を捜しに行きました

 

 

さて、これが、高橋恭敬教諭の初動の動きですが、ものすごく不自然に感じる部分があるのですがお分かりでしょうか?

 

まず、

(本宮久忠教諭と)目が合って、手で、この感じで、殴っとるみたいな感じで、殴っとるから何とかこれを対応してくれというような感じの訴えを目でしてくれました。

と言うんですね。

訴えを目でしてくれました。

という表現が非常に不自然です。

 

仮にも《殴った》と言うような出来事があったのなら、

すぐ止めようと動くのが普通でしょう

それだけの人数もいるのです。まず、前へ出て止めようとするでしょう。

 

 

 

 

高橋恭敬教諭は、「河村卓哉教諭に何度も恫喝されてきたから怖かったんだ」と言います。

それが嘘であることは、すでに明らかになっている【いねいね病気の奴は】事件などを見ても明らかです。

高橋恭敬教諭の嫌がらせ【いねいね病気の奴は】はこちらからどうぞ

土居中の幹部教師の中では唯一、高橋恭敬教諭のみが、河村卓哉教諭に直接嫌がらせをしているからです。(それについては別項で触れます。)

また、高橋恭敬教諭は、それまでにも同僚に対して何度も殴るけるの暴行を働いてきた実績があります。

 

 

普通であれば、本宮教諭から「殴った」と言う訴えがあったなら、自分の目で見たわけではないのだからまず確かめなければいけませんし、「本当に暴れている」のなら、何をおいても止めるべきでしょう。

 

 

 

先に述べたように、この騒動の一部始終は、音声データとして記録されています。そのはん訳を見ても分かるように、《殴った》と彼らの言うような出来事、実際には《当たった》ところは1か所だけなのです。

決して、河村卓哉教諭が暴れて止まらなかったなどと言うものではありません。

単なる言い争いです。

 

 

 

さて、そこで、先ほどの高橋恭敬教諭の、「訴えを目でしてくれました」と言う表現の違和感を話してみたいと思います。

普通なら、「殴った」と聞いたら、「それは大変だ。で、その後どうなんだ?暴れているのか?」と前方に動いて事実を確かめ、必要なら止めようとするはずなのに、そうしてない。

そして、「殴ったという訴えを目でしてくれました」というのです。このあと、「目でしてくれてありがとう」と続きそうじゃありませんか。

 

実際、先ほどの「いねいね、病気の奴は」の実際の音声を聞いて分かると思いますが、実にいやらしい感じで言葉を投げつけていますね。

高橋恭敬教諭は、河村卓哉教諭のことを日ごろからよく思ってなかったのでしょう。

 

そして、この日、大声を出しているところへ、「殴った」と合図をしてくれたので、「よーし、ついにあいつをやっつけられる。今警察に来てもらったら、取り押さえて連行してもらえる!」

パッと、高橋恭敬教諭の心が燃え上がったのではないでしょうか?

 

 

そして、実際そうなのです。

高橋恭敬教諭が実際に取った行動は、踵を返して職員室へ向かうことでした。即、「警察に電話じゃ」だったのです。

 

 

 

 

 

 

では、高橋恭敬教諭のついている、大きな嘘について見てみましょう。

本宮久忠教諭からのしぐさを見て、

これは大変だと思って、校長先生、教頭先生を捜しに行きました

と、高橋恭敬教諭は言います。

 

これが大嘘

なのですね。

 

もうすでに【3】篠崎良治教頭の出現 で見たように

    村上正哲元校長と篠崎良治教頭はその時廊下にいた

のです。校長や教頭を探そうとしたのなら、目につかないはずがないのです。

しかし、高橋恭敬教諭は次のように証言(偽証)します。

 

高橋恭敬教諭の証言

検察(池田副検事)の証人尋問

検察I:(校長、教頭を)どこに捜しに行かれましたか。

職員室に帰りました。

検察I:職員室にはいたんですか。

いえ、いませんでした。

検察I:それで、どうされましたか。

職員室から、校長室のほうに内側にドアがあるんですが、そこも開けて校長室も見たんですが、そこにもいませんでした。

検察I:それで、どうされたんですか。

それで、もう一度廊下に出て見ると、また玄関側から見ました、現場を

検察I:玄関側の出入口から見たんですね。

はい。

検察I:そしたらどうでしたか。

まだ興奮状態でした。

検察I:そのときは、だれに対して言っていたか覚えていますか。

ちょっとそれは覚えてないんですが。

検察I:その、まだ大きな声を出しているのを見て、証人はどうしようと思ったんですか。

これは大変なことになるから警察に連絡しようと思って、電話をしました。

検察I:証人の判断で電話をしたということですか。

そうです。

検察I:警察には、どこから電話をしましたか。

職員室の東側の教頭先生の机のあたりにある電話です。

検察I:どこの警察署になりますか。

四国中央署です。

検察I:警察に電話をして、どのように言ったんですか。

「今、先生が暴れているので、ちょっとどうしたらいいか分からないんですが。」というような言い方をしました。  

検察I:警察はどういう返事でしたか。

「生徒じやなくて、先生ですか。」と言っていました。

検察I:警察はどうするというふうに答えましたか。

とにかく近くを警ら中のパトカーがいるので、そちらに立ち寄らせますということでした。

検察I:それを聞いて電話を切るんですね。

はい。

検察I:それからどうしたんですか。

それからは、廊下のほうのようすを見に行って、まだ同じ感じだったので、職員室にいました。

検察I:職員室にいて何をしようとされてたんですか。

警察に連絡をしたので、また電話がかかってくるとか、あるいは校長先生とかが帰ってこられたら、大体いつも職員室の黒板のところに来て、帰ったよと言ってくれるので、その場所に待機していました

検察I:職員室にいると、被告人の大きな声はどういうふうな騒ぎになったんですか。

次は伊藤先生との、どなり合いみたいになりました

 

 

この中で、高橋恭敬教諭の嘘が証明できるところは、

池田:職員室にいると、被告人の大きな声はどういうふうな騒ぎになったんですか。

次は伊藤先生との、どなり合いみたいになりました

ここです。音声データとその反訳書で時間を詳細に調べてみれば、本宮久忠教諭が「今殴ったろ」と言ってから、伊藤貴仁教諭が怒鳴りだすまでの時間がわかります。

その時間で、高橋恭敬教諭が

職員室に行って校長を探し、校長室まで行ってみて校長を探し、もう1回廊下に出て争いが続いているので、電話した

 

これだけのことをするのは無理なのです。

 

さらに、実際には、廊下に出たり入ったりはもっと繰り返していると、彼は言うのです。

 

高橋恭敬教諭の証言

弁護人M(水口)の証人尋問

弁護M:それで、次の問題は、本件の事件の中身のことを聞いていきますけども、平成20116日の事件の目撃状況については、検察官の事情聴取と、それよりも1年ぐらい前に警察官の事情聴取、2回受けたことを覚えていますか。

警察署と検察庁と、2箇所行きました。

弁護M:検察庁が平成211029日、警察署のほうが平成201120日、1年ぐらい早いと。今日、法廷で証言された経過は、これは検察官に対す事情聴取のときに説明した中身になっているわけですね。

なってるかどうか、ちょっと違うかもしれません。

弁護M:全く違うよ。

そうですか。

弁護M:1年前にやった警察署、警察官に対する事情聴取のときの中身と違うという認識もないんですか。

ちょっと覚えてません。

弁護M:では、ひとつずつ聞いていきますけれども、まず、あなたは職員室にいて、それで廊下に出て、それで警察を呼ぶようになって、警察に通報した。これは一致しているんですだけど何回出入りしたか。今日の証言では、いったん廊下に出て、それで校長を捜しにいったんまた戻ってくると。それで職員室と校長室を探したけどいないので廊下に出た。で、まだ興奮状態だったので警察に通報した。職員室に戻って。こういう2回、職員室に戻ってきたことを言っているんです。警察では、3回目に職員室に戻って警察に電話をした、そういう説明をしていませんか。

そのあたりは、ちょっと記憶にないですね。

弁護M:これは証拠開示を受けた調書ですけれども、平成201120日付けの供述調書を、今、自分の証言を覚えてないというので、確認してもらいたいと思います。今の警察官に対する供述調書によると、3回目に職員室に戻ったときに、警察に電話をしたということを述べておるんですけれども、それが正しいんじゃありませんか。

ちょっとこのへんの記憶は3回かもしれませんし、2回かもしれません

弁護M:警察のほうがさっきから聞いているように、事件があった年の11月、検察官のほうは、またそれから1年ぐらいたった2110月、少なくとも警察官のほうの調書を受けた時期のほうが正確ではありませんか。

・・・・・・。

弁護M:だから今言うているように、警察官に対する事情聴取を受けたときの説明のほうが、正しい記憶ではありませんかという質問です。

詳しく読んでないので何とも言えません、それは。

 

 

法廷では

いったん廊下に出て、それで校長を捜しに、いったんまた戻ってくるとそれで職員室と校長室を探したけどいないので廊下に出た。

で、まだ興奮状態だったので警察に通報した、職員室に戻って。

こういう2回、職員室に戻ってきたことを言っているんです。

とこう証言したけれども、もっと早い時期に警察での事情聴取では、また廊下に出て、そして

3回目に職員室に戻ったときに、警察に電話をした

ということを言っているわけです。

 

 

 

ですから、

本宮久忠教諭が「今殴ったろ」と言ってから、伊藤貴仁教諭が怒鳴りだすまでの間に、高橋恭敬教諭が上記のような動きをすることは無理なのです。

 

 

 

では、何のために高橋恭敬教諭はこのような嘘をついたのでしょうか?

本宮久忠教諭から「今殴ったろ」と聞いたのですぐに電話をした、と事実のままに証言すればいいのではないでしょうか?

なにか、そうできない理由でもあったのでしょうか?

わざわざ、偽証しなければならない理由があったのでしょうか?

 

あったのです。どうしても、自分が校長と教頭を探したけれども居なかったことにしなければいけない理由があったのです。

 

それは、

校長に無断で警察を導入したら処分を受けることになる

のです。

 

 

高橋恭敬教諭の行動は衝動的ともいえるものです。彼が日ごろから暴力的で同僚にも平気で暴力をふるっていたことも、そういう高橋恭敬教諭の性格の表れでしょう。

この日の行動は、まさにそれと同じ性質のもので、「殴った」→「警察じゃ」と猪突猛進しています。

 

 

 

 

推理してみましょう。

目の前で憎き河村教諭が大声を出している。お。やったー。ついにあいつをやっつけられる。そこへ、本宮久忠教諭が「殴った」という合図を「訴えを目でしてくれた」。よっしゃ、警察じゃ!河村がおらんでいるうちに警察に来てもらったら、あいつを逮捕してもらえる。すぐ電話じゃ!

 

おそらく、高橋恭敬教諭の脳裏にはこのような考えが電光石火のように走ったことでしょう。

 

その時、村上正哲元校長のことなど頭にありません。いつも、篠崎良治教頭が中心になって学校内のことを取り仕切っていたのですから、この時もいつものように、高橋恭敬教諭は篠崎良治教頭と2人で動いたのです。

 

篠崎良治教頭が一緒に電話しに走る様子が音声データの中にきちんと録音されています。

 

 

しかし、高橋恭敬教諭と篠崎良治教頭の2人ともが、すぐあわてることになるのです。

警察に電話し終わってすぐに、伊藤貴仁教諭が大声で怒鳴りだしたからです。

 

この時の音声を聞いてみると、伊藤貴仁教諭の声と河村卓哉教諭の声は同じくらいの大きさです。

しかし、ボイスレコーダーは河村卓哉教諭の胸の中に入っていたのであり、離れている伊藤貴仁教諭の声は河村卓哉教諭の声よりは小さく録音されるはずです。

しかるに、再生してみると2人とも同じ大きさで怒鳴りあっています。これは、伊藤貴仁教諭の方がずっと大きな声で怒鳴っていたことを表しています。しかも、伊藤貴仁教諭がおらんでいるのは実にガラの悪いやくざ言葉でした。

 

周囲にいた教師たちが、河村卓哉教諭が大声を出していた時は止めにも入ってないのに、伊藤貴仁教諭が怒鳴りだしたとたん、即座に伊藤貴仁教諭の体を押さえて職員室へ引っ張って言ったことを見ても、伊藤貴仁教諭の怒鳴り方は尋常一様ではなかったことが分かります。

 

 

高橋恭敬教諭と篠崎良治教頭の2人はこの様子を見て「しまった」と思ったことでしょう。

こんなところに警察が来たら、伊藤貴仁教諭もしょっ引かれることになる。

それで、すぐに、警察に断わりの電話を入れたけれども、警察は来ると言う。

篠崎良治教頭はすぐにおらびまくっている伊藤貴仁教諭のところへ行って、ランチルームへと誘導したわけです。もちろん、実際に伊藤貴仁教諭を取り押さえたのは篠崎良治教頭ではありません。篠崎良治教頭は絶対に自分では手を出さないからです。

 

 

その後、ランチルームに石川周治教諭も呼んで3人で話をしているところへ警察が来たという知らせが来て、篠崎良治教頭は石川周治教諭を連れて、校長室へ行くのです。

 

彼らが、警察への対応を済ませたのち、河村卓哉教諭への対処(いつもどおり一方的)や行政処分のことを話しあいます。

そこで、高橋恭敬教諭が、村上正哲元校長や篠崎良治教頭に無断で警察を呼んだことは、報告できないので、その時、村上正哲元校長と篠崎良治教頭は現場にいなかったことにしようということになったのです。

 

また、警察を呼んだ理由も、普通に考えても、石川周治教諭が見た目に分かるような怪我すらしてないのに、それで「殴った」からとはいえ、警察を導入する理由にはならないと考えます。

 

そうすると、警察を呼ばなければならない相当な理由が必要になります。

そのシナリオを彼らは、頭を突き合わせていろいろと考えたようです。

たとえば、高橋恭敬教諭の次の証言を見てみましょう。

 

高橋恭敬教諭の証言

弁護人M(水口)の証人尋問

弁護M:また、警察官の、平成201120日付けの供述調書を、今言った証言をされましたので確認のために示したいと思います。ページ数でいうと5枚目で第8項のところです。ここを読んでみてください。

もう一回廊下に出てみると、他の教諭が伊藤教諭を河村先生から引き離している状態でした。収拾がつかない、もうすぐ生徒が戻ってくるから、何とかしなければ警察を呼んで止めるしかないと職員室に戻って、自分の判断で四国中央警察署に電話をしました。

 

 

あまりにもばかげていて呆れてしまいます。

 

収拾がつかない?

他の教諭が伊藤教諭を河村先生から引き離している状態であるというのなら、もう収拾はついているじゃないの?

また、もうすぐ生徒が戻ってくる、と言うのならなおさらのこと、警察なんか呼んでしまったら、生徒がそれを見るかもしれないじゃないの?

 

 

これらは、警察に電話をしたという判断を、なんら正当化できるものではありません。

彼らお得意の《すりかえ》と《正当化》です。

 

それどころか、このような判断で警察を呼んだということについては、きちんと処罰を与えられてしかるべきなのです。

 

 村上正哲元校長と篠崎良治教頭と高橋恭敬教諭は、この事件(警察沙汰にしその後告訴したということ)の背景をも、実にたくさん握っています。

 それについては別の稿で論じることにします。

 

 ではここで、まとめておきましょう。

 

高橋恭敬教諭はその凶暴性から、衝動的に警察を呼んだ。

そして、

土居中幹部は、それを隠すために河村卓哉教諭を悪人に仕立て上げた(偽証)。

 

 

さらに、

高橋恭敬教諭は、巧妙に《すりかえ》を行い、自分の悪事を《正当化》する。

 

 

 

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このようなサイトが出ています(2012年6月)。

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