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土居中事件

 

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土居中ランチルームのメンバーであった幹部たちが、無理やり作った診断書は、安藤医師の判断ミスによるまがい物でした。つまり、診断書として信用することはできないのです。

 

さてそれでは、このようにして出来上がった、まがい物の診断書を、石川周治教諭はそもそもどうして取ったのでしょうか? これは彼ひとりの考えで取ったのでしょうか?

いいえ。ちがいます。

 

【3】篠崎良治教頭の登場

 

石川周治教諭の証言

検察I(池田副検事)の証人尋問

検察I:診断書を取ることになったのはどうしてですか。

上司に勧められたからです。

 

 

 

石川周治教諭はただ「上司」と言うだけで、それが誰なのかは言っていません。

それは弁護側の反対尋問ではっきりするのです。

 

 

石川周治教諭の証言

弁護人M(水口)の証人尋問

弁護M:あなたの主尋問によると、上司の指示で取りに行ったと言うんだけども、どなたのことを言ってるんですか。

教頭先生です

弁護M:校長じやないの。

校長先生ではないです。そのとき校長先生もおられました。

 

 

 

篠崎良治教頭が登場するのです。

 

実は証人たちの証言を調べていて非常に面白いことに気がつきました。

石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭、篠崎良治教頭はみな『ランチルーム』(本来は更衣室。彼らが勝手に自分たちのランチルームにしていた)の教員です。

彼らは『ランチルーム』の存在を一生懸命隠そうとします。

 

そうして、さらに、石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭は、篠崎良治教頭の存在を隠そうとするのです。

 

でも、鋭く尋問されて答えた時、それまで隠れていた篠崎良治教頭が現れてくるのです。

先ほどの引用の449の前を見てみましょう。

 

 

石川周治教諭の証言

弁護人M(水口)の証人尋問

弁護M:更衣室でおって、それから校長室に行った、校長室には校長さんがいた。

はい。

弁護M:それから、警察官もいたんですか。

はい、おりました。

弁護M:警察官には、先ほどの主尋問では、警察官が2名来ていて「殴られた」と説明しましたと言ってるんだけども、どういうふうに殴られたと言ったんですか。

そのときは殴られたと言いました。

弁護M:だけど、お巡りさんだから、「何で?」とか「どういうふうに?」とか「どこを?」とか、いろいろ聞くと思うんですけど。

左ほほを殴られたと言いましたが、どこで殴ったかを、どちらのほうで言ったかは覚えてません。こぶしなのか、ひじで殴られたとかというのは言ってません。言ってませんというか、覚えてません。

弁護M:それで、校長室におるのは、校長さんと警察官2名とあなた、4人ですか

そのあと、誰か入ったり出たかもしれませんが、記憶にありません

弁護M:そうすると、警察官に事情を説明したのは、あなたと校長先生ということでしょうか。

はい。その校長室の中では、ですから、そこまでのいきさつは分かりません。警察官のそこまでのいきさつは分かりません。なぜ警察官が校長室にいるかも知りませんでしたから。

弁護M:だから、今言ってるのは、警察官は学校に来たら、まず校長室に入ると思いますから、校長室で話をしてたのは、校長先生なんでしょう。

と思います。

弁護M:今言ってるように、警察官は学校の現場に来たら、まず校長室に入るだろうと思うから、警察官が事情を聞くのは、校長室にいる校長さんとあなたから事情を聞いたということではありませんかということです。

そこは、私が説明したことは確かなんですけど、それ以外は分かりません。

弁護M:それで、警察の人が診断書を取ってきなさいという指導はしなかったんですか。

はい、しませんでした。

弁護M:あなたの主尋問によると、上司の指示で取りに行ったと言うんだけども、どなたのことを言ってるんですか。

教頭先生です

弁護M:校長じやないの。

校長先生ではないです。そのとき校長先生もおられました。

 

 

 

 それで、校長室におるのは、校長さんと警察官2名とあなた、4人ですか

そのあと、誰か入ったり出たかもしれませんが、記憶にありません

 

 

おもしろいですね。

篠崎良治教頭の名前は、隠す

んです。

 

 

 

でも、この篠崎良治教頭は重要な場面には必ずいます。

実はこのとき校長室には、

篠崎良治教頭も居た

のです。

篠崎良治教頭と石川周治教諭は、『ランチルーム』に一緒にいて、そこから校長室へ移動したのですから、石川周治教諭が知らないはずがありません。

それでも、彼は篠崎良治教頭のことを上のように隠しています。

 

 

 

また、高橋恭敬教諭の呼んだ警察が土居中に来た時、それを出迎えたのも、この篠崎良治教頭です。

 

 

また、

『河村卓哉教諭の指導について』という差別文書を作った時の中心人物も、この篠崎良治教頭です。

 

 

 

 

 

ところで、高橋恭敬教諭の呼んだ警察が土居中に来た時の様子について見ておきましょう。

 

 

井原正浩巡査の証言

検察官I(池田)の証人尋問

検察I:証人らが現場の学校に着いて、どこから学校に入りましたか。

校門から入り、学校の正面玄関に向かったと思います。

検察I:だれが、どこで対応してくれましたか。

正面玄関において、教頭先生と思いますが、教頭先生が面接していただいて、校長室まで案内していただきました。

検察I:校長室で事情を聞いたんですかね。

そのとおりです。

検察I:だれから事情を聞きましたか。

校長先生教頭先生がそのときおられました。

検察I:その二人以外に、事情を聞いた人はいましたか。

後から石川先生が入ってこられて、石川先生にも事情は聞きました。

検察I:最初に、証人は校長先生や教頭先生にどう尋ねられたんですか。

何があったのですかと聞きました。

検察I:そしたら、だれが事情を説明してくれましたか。

校長先生が、保健室で一般の生徒さんが休まれておられるとき、生徒全員が参加する行事に休んでおられる生徒さんを誘いに来た際、河村先生が現場にいて、その生徒さんをかばうような言動で呼びに来た先生ともめごとになり、仲裁に入った石川先生の顔にひじが当たったという説明を受けました。

検察I:それから、石川先生から事情を聞いたんですか。

はい、聞きました。

検察I:石川先生は、どういうふうに事情を説明しましたか。

流れは、先生同士が言い争いになっていたので、河村先生を止めようとした際、河村先生のひじが顔に当たったという説明を受けました。

検察I:そのとき、河村先生がもう一方当事者を、当たったという説明だったんですか。

恐らく殴ったという表現だったと思います。

検察I:その話を聞いた段階で、証人は、どういう事案が起きたんだというふうに判断しましたか。

傷害事件若しくは暴行事件の可能性があると思慮しました。

検察I:それで、その石川先生に対して、どういうことを言ったんですか。

河村先生に対して、処罰、事件化する意思はありますかと確認はしました。

検察I:石川先生は何と答えましたか。

今のところ、相手の方を処罰してもらう意思はありませんというような内容だったと思います。

検察I:石川先生のその殴られたという部分は見ましたか。

はい。

検察I:どこでしたか。

顔面だったと思いますが、右側か左側かは覚えておりません

検察I:どんな状態でしたか。

出血や皮下剥離などの顕著な傷はなく、若干皮膚が赤くなっていた程度だと覚えております。

検察I:証人は、石川先生に対して、病院に行くかどうかについても何か言いましたか。

はい。病院で診察をしてもらい、治療をしてもらうことは差し支えありません、もし事件化を望むのであれば、診断書を持って、後日、警察署のほうへ出頭するよう指示しました。

検察I:石川先生の相手方当事者である、河村先生からも事情を聞いたんですか。

いいえ、聞いておりません。

検察I:それはどうしてですか。

校長先生から、学校内で発生したことであり、また河村先生は当時心の病を患っておられ、復職したばかりで、今は落ち着いているが警察官の姿を見て再度興奮してはいけないという指示を受けたのと、被害者である石川先生が現在のところは処罰を訴える意思がないということであるので、河村先生には面接しませんでした。

検察I:その暴行ないし傷害事件として一応認知したことに関しては、その事件はどうすることになったんですか。

状況を四国中央警察署へ報告し、現場処理をする旨を報告しました。

検察I:校長先生たちから、その出来事についてはどういうふうに対応するというふうに言われたんですか。

学校内で発生したことであり、校長先生自らが「私が責任を持って処理いたしますので」ということを受けました。

検察I:それで、証人らはどういう処理にすることにしたんですか。

通常であれば、加害者がおり、被害者に面接できない場合は是非にでも被害者と面接することはありますが、被害者と面接し、被害者が処罰の意思がなく、かつ校長先生からそのような説明を受けたのであれば現場処理とし、後日の処理結果を待つことが最善であると判断し現場処理にいたしました。

検察I:それで、中学校から帰られたんですね。

はい。

 

 

 

被害者である石川先生が現在のところは処罰を訴える意思がないということであるので、河村先生には面接しませんでした。

ということです。当日、河村卓哉教諭と石川周治教諭のトラブルだったものを、

片方だけの説明を聞き、

河村教諭の方はぜんぜん聞かなかった

のですね。

 

その理由が、石川周治教諭に訴える意思がないということだったと。

 

 

しかし、その日、早速安藤医師へ行った石川周治教諭は、いったん学校へ帰って、篠崎良治教頭から「診断書をとっておくように」言われて、全治5日間なる診断書を取っているのです

 

このように、

もっとも暗躍しているのが篠崎良治教頭

です。

 

 

 

 

さてさて、管理職と言えば、村上正哲元校長と篠崎良治教頭の2名ですが、トラブル発生の直後彼らはどこにいたのでしょう。

 

篠崎良治教頭は、「事務室にいた」と証言しました。

うそです!

 

彼は、その時、保健室前廊下の近くにいました。

 

証拠として提出された音声データに、篠崎良治教頭の声が入っているのです。大きなスピーカーで注意深く聞いてやっとわかる大きさです。ですから検察側も、弁護側も反訳書を作るときに彼の声を拾い落したのです。

河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭のほほに当たったその直後に、篠崎良治教頭の声が入っているのです。

 

 

 

 

 

では、村上正哲元校長は?

村上正哲元校長は、外出していて河村卓哉教諭と伊藤貴仁教諭が言い争う直前に帰ってきて現場に駆け付けたと証言します。

うそです!

 

 

彼は、河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭のほほに当たったその直後に、その場にいたました。

 

彼の嘘もまた笑えるのですが、篠崎良治教頭と同様に、河村卓哉教諭の肘が石川周治教諭のほほに当たったその直後に、村上正哲元校長の声が入っているのです。

 

 

彼らは平気で“偽証”をやってのけました。彼ら2人のみならず、石川周治教諭、伊藤貴仁教諭、本宮久忠教諭、高橋恭敬教諭らは、

全員偽証しています。

 

 

 

これは、われわれの調査で明らかになっていることですが、村上正哲元校長は「外出していた」というまことしやかなウソをついているのですが、彼の外出の事実はありません。村上正哲元校長は平成20年1月16日の午後3時以降、土居中学校にいました。

 

しかし、

高橋恭敬教諭が勝手に、つまり管理職の許可なしに警察を導入してしまったので、

その時現場に管理職がいなかったことに

しなければならず、うそを捏造したのです。

 

 

 

篠崎良治教頭は事務室にいたことにしました。(偽証)

 

村上正哲元校長は山田氏(土居人対協のメンバー)のところに行っていたことにしました。(偽証)

 

彼らはグルになってアリバイ作りをしたのです。

 

当初は、村上正哲元校長は騒ぎの間ずっといなかったことにしていました。

しかし、星田裁判で音声データが提出されてその中に自分の声が入っていることを確認し、村上正哲元校長は、筋書きを少し修正しなければならなくなったのです。

それが、「外出していたが、騒ぎの途中で帰ってきた」というものでした。これを、この裁判で偽証しました。

 

 

 

 さて、彼らは偽証するために、大きな犠牲を払いました。

嘘の証言を作り上げる

と言うことです。

すると、嘘を作り上げる過程で、

大きな矛盾が出てくる

のです。

 

どのような矛盾がでてきるか、次に村上正哲元校長の証言を通して、それを見てみましょう。

 

 

村上正哲元校長の証言

弁護人M(水口)の証人尋問

弁護M:それで、1月16日のことですけれども、この石川周治先生との間のトラブルがあったときですけど、あなたは、学校外に出ていて、聞き取り学習の講師の方のところに行っていたということですか。

はい。

弁護M:この1月16日は、私立学校の入試の発表ではございませんか。

よく覚えてません。

弁護M:この日は、教頭さんも午後に外出してると言ってましたけども、校長、教頭、両名が一度に学校を出るということがあるんですか。

ほとんどないと思います。僕の外出といっても、ちょっと時間があるので、ちょっと抜ける感じで行きました。

弁護M:M先生は、この法廷で、あなたが職員室にいたと証言してますけど、職員室にいたのではありませんか。

いつの時点でですか。

弁護M:トラブルがあったときです。

職員室には、多分、一度も行ってないと思います。

弁護M:星田先生も、校長であるあなたと現場で目が合ったと言ってますけども、違うんですか。

どの段階か分かりませんが、事情が分からなかったので、そこにいたるみ子先生と星田先生に、事情を聞こうとした記憶はあります。

弁護M:そんな後のことを聞いてるんじゃないんです。正に、石川周治先生と河村先生のトラブルの最中の話です。

知りません。

弁護M:河村先生自身は、あなたがお客さんを送り出すために、廊下にいたと言ってますけど、違うんですか。

河村だれですか。

弁護M:卓哉先生です。

お客さんというのはだれですか。

弁護M:あなたとお客さんがいたと言ってるんです。

いません。

弁護M:お客さんもいないし、廊下にいなかったということですか。

客は来たかも分かりませんけども、その時間帯にはいなかったと思います。私は、掃除は必ず外に、その当時はずっと出てましたので

弁護M:それで、あなた自身は、河村先生と石川先生のトラブルのときには、いなくて、伊藤先生と河村先生がどなり合いをする直前には現場にいたということですか。

直前かどうかというのは、時間の流れが分からないんですけども、記憶には、二人が大きな声で言い合ってるのは、鮮明に残っています。

弁護Mその言い合いをする直前に、現場にいたということを言ってませんか。

どの時点から言い合いをしとったかというのは、ちょっと分からないですね。

弁護M:あなたは、検察官に対する電話での事情聴取を受けたときに、今言ったように、自分が駆けつけたすぐ後に、河村教諭と伊藤教諭とがどなり合いを始めたとそういう説明をしたのではありませんか。

電話があったのは覚えてますけども、具体的な文書で見てないので、現場を見ていないという話はしたと思います。そういった意味のことは言った可能性はあります。口頭なんで。

弁護M:内容の第2項の89行目を読んでみてください。

「私が現場に行ったときは、河村教諭と伊藤教諭が大声でどなり合いになる直前のころでした。」

弁護M:とありますね。

はい。

弁護M:それから、2枚目の1行目、ここから2行を読んでください。

「私が駆けつけたすぐ後に、河村教諭は伊藤教諭とどなり合いを始めた記憶なので」

弁護M:その次も。

「私が現場に駆けつけて、声を出したのは、その録音開始の2分18秒後に校長の言葉として書かれてる段階だと思います。」

弁護M:こういう聴き取り書きができてるので、あなたがそういう説明をしたのではありませんか。

多分、そのときはそうしたんだろうと思います。

弁護M:それから、録音開始の2分18秒後というのがあるので、これは検察官に録音を聞かせてもらったということですね。違うんですか。

そのときは聞いてないと思います。

弁護M:そのときは聞いてないけど、それ以前に聞かされたということですか。

検察からではなくて、録音を見ましたかというようなことだったんじゃないかなと思うんですけども。

 

 

 

ここで非常に奇異に感じる表現を、指摘したいと思います。

「私が現場に行ったときは、河村教諭と伊藤教諭が大声でどなり合いになる直前のころでした。」

この表現です。

 

普通こういう表現をするでしょうか?

 

次の表現と比べてみてください。

「私が現場に行って少しすると、河村教諭と伊藤教諭が大声でどなり合いを始め

ました。」

 

まず現場に直行したんですよね。その時にはまだ、河村教諭と伊藤教諭の怒鳴りあいはありませんでした。

では、その時何があったんでしょう。当然、それを言うはずです。その時には、河村教諭が石川教諭と言い合いをしていたのですから、それが目に入るはずです。

「私が現場に行った時には河村教諭と石川教諭が言い合いをしていて、そのすぐ後で、今度は伊藤教諭が河村教諭と大声でどなり合いを始めした。」

このように説明するのが自然です。

 

 

ところが、駆けつけたその時点ではまだ起こってない河村教諭と伊藤教諭の大声のどなり合いのことを最初に出して、それを基準にしてその直前のころでしたと説明するのは

あまりにも不自然

です。

 

これは、音声データを書き起こしたものが先にあって、それを見ながら

 

「どの時点で外から帰ってきたことにしようか。

ここには校長の声があるからこの前のこの時点にしよう。

あくまでも、河村教諭と石川教諭のトラブルの時にいたことは言及を避けなければいけない」

 

と、こんな具合に、自分の帰ってきた時点を設定したのでしょう。

 

 

 

もうひとつ、目につく言葉が、

どの「時点」からとか、「段階」でとか

こう言った言葉です。

 

これこそまさに、上のようにして

校長のいた「時点」を設定したことの顕著な表れ

であると言えるでしょう。

 

この言葉は、他のランチルームの証人たちは皆が使っているのです。

彼らの間で綿密なシナリオつくりがあった

ことをうかがわせます。

 

さらに、村上正哲元校長の証言の中で非常に不自然な言葉を見てみましょう。

村上正哲元校長はこう主張します。

 

 

村上正哲元校長の証言

寺岡裁判官(裁判官T)の証人尋問

裁判官T:そうすると、外に出て、用事があって、帰ってきて、掃除があるからまた外に出て、掃除が終わったから校長室に戻って、それから、この事件現場に駆けつけたと、そういうことになるんですか。

いえ、掃除が終わってから、出掛けました。掃除からちょっと時間があったので、予定していたわけではなくて。

裁判官T:外に出られて、帰ってこられて、校長室に入られたわけですか。

そうです。そのときに、もう廊下にいたと思います。

裁判官T:そうすると、校長室から駆けつけたわけではないわけですか。

そうですね。

裁判官T:じゃ、そうすると、玄関から、直接現場に向かわれたことになるんですか。

いえ、一辺校長室に入りました。

裁判官T:そうすると、外から一辺校長室に入り、それから、校長室から現場、すなわち、廊下のそこに駆けつけたと、そういうことになるんですか。

はい。

日野裁判官H(裁判官H

裁判官H:今の点なんですけど、掃除の時間に出掛けられたということですか。

掃除が終わってからです。

裁判官H:終わってから、出掛けた先は、学校からどのぐらいのところなんですか。

距離的には近い、5分ぐらいあったら行けるところです。

裁判官H:5分ぐらいで行けるところですか。

はい、行けます。5分あったら行けますね、多分、車で。

裁判官H:5分ぐらいで行けると。

はい。

裁判官H:それは、行って帰ってくるのに、5分という意味ですか。

いえ、片道5分。ぐらいだと思います。

裁判官H:それで、行った先では、どのぐらいの時間、いたんですか。

そんなに長くないと思います。

裁判官H:具体的には何をしたんですか。

いわゆる、聞き取り学習の講師を、多分、その人にお願いするだろうみたいな話になってたので、来たらまたご無理だけどお願いします、というようなあいさつ程度のことだったので、仕事場に行ったので、そんなに長い時間はできないので。

裁判官H:そうすると、学校に協力してくださる方にあいさつに行ったということなんですか。

そうですね。

裁判官H:それで、相手はいたということですね。

いました。

裁判官H:それは車で行ったんですか、歩いていったんですか。

車で5分です。

裁判官H:車で行ったと。

はい。

裁判官H:それで、帰ってきたら、玄関から入ってくるわけですね。

そうです。

裁判官H:そうすると、廊下が見通せるわけですね。

はい。

裁判官H:廊下では何か起こってたんですかね。

人がいましたね、もう。で、すぐに入って、すぐにバックを置いて、すぐ出ていきました。

裁判官H:廊下は、玄関から入って、だれだれがいたんですかね。

分かりません、そのときは。玄関からちょっと離れてますから。数名いたと思います。

裁判官H:だれかがしやべってる声とかは聞こえたんですかね。

ざわざわしてたと思います。音がしてたから、すぐに、出ていったんで。

裁判官H:すぐに行ったら、どういう状態だったんですかね。

もめてる状態だったと思いますね。

裁判官H:だれとだれが。

ちょっとよう分からなかったんですね、どこでどないなっとるんかというのは分からなかったんですけども、あと、記憶にあるのは、伊藤先生と河村先生が言い合いをしよるというのは、そのあとぐらいやったと思います。

裁判官H:石川先生と河村先生が相対して、もめてる状況というのはなかったんですかね。

ちょっと僕の記憶にはないです。その場面は。

 

 

 

上の応答で、不自然な点は2か所あります。

1つは、

裁判官H:廊下では何か起こってたんですかね。

人がいましたね、もう。で、

すぐに入って、すぐにバックを置いて、

すぐ出ていきました。

 

というところです。廊下でその時、河村卓哉教諭が大声を出して石川周治教諭とせめぎあいをしていたのです。

その状況は職員室からみんなが廊下に飛び出すほど、非日常的な状況だったわけです。

それなのに、その状況を見て、すぐに駆けつけずに校長室へいったんバッグを置く、これは考えられません。

 

2つめは、

裁判官H:廊下は、玄関から入って、だれだれがいたんですかね。

分かりません、そのときは。玄関からちょっと離れてますから。

数名いた

と思います。

裁判官H:だれかがしやべってる声とかは聞こえたんですかね。

ざわざわしてた

と思います。音がしてたから、すぐに、出ていったんで。

 

というところです。

 

ざわざわしてた」という表現を、今述べたような状況を見たときに使うでしょうか?

ろうかで、

河村教諭が大声を出して揉めている

のです。

ざわざわしてた」などと言うものではありません。

 

 

また、「数名いた」というと2,3名ということです。もしくはせいぜい3,4名。しかし、村上正哲元校長はその後、熱田裁判長の追及にこう答えています。

 

 

村上正哲元校長の証言

熱田裁判長(裁判長)の証人尋問

 

裁判長:外からそのまま行ってると。帰ってきたときに、廊下、玄関から入ったときに、どの辺りに人がいたんですか。

だから、保健室と西側のほうの奥側の出入口の付近です。

裁判長:大体固まってたんですか、同じ位置に。

ちょっと暗い、外から見ると、ちょっと暗い、ばっと入ってきたとき暗いんですけど。

裁判長:何人ぐらいいたかは覚えてますか。

数人いたと思います。

裁判長:数人というと、何人ですか。2、3人ですか

よりは多かったと。

裁判長:4、5人、10人、どんな感じですか。

10人はいなかったと思います。

裁判長:ざわついてたと言うんだけど、どんな状態だったんですか。

よく覚えてないけど、声はしてたと思います。

裁判長:何人、複数、一人だけ?

よく覚えてないですけど、声がしてたのは覚えてます。

裁判長:すぐに、その人がいるところに行かなくて、いったん、職員室のほうに入ったというのはどうしてですか。

取りあえず、こういうバックを持ったので、バックを置いて、中に入ってゆっくりするんじゃなくて、さっと置いて、出たと。

裁判長:すぐ行かなきゃなんないというような状況。

何があるんかなと思ったから。

裁判長:行って、石川先生がいたかどうかは覚えてますか。

ちょっと覚えてないですね。どの段階でいたかというのは覚えてないです。

 

 

 

10人はいなかったと思います。

だから、7,8名は居たのです。

それをあえて「数名いた」と少なく見積もって言う心理は、何なのでしょう?

 

また、村上正哲元校長は

熱田:行って、石川先生がいたかどうかは覚えてますか。

ちょっと覚えてないですね。どの段階でいたかというのは覚えてないです。

 

 

石川周治教諭がいたかどうか覚えてないというのです。

駆けつけたのが、伊藤貴仁教諭が怒鳴り始める少し前だと言うのにです。

 

その時は、

石川周治教諭と河村卓哉教諭が

言い合いをしていた時

です。

 

石川周治教諭を見てないはずはありません。

 

 

また、「どの段階で」という言葉、すなわち、シナリオ作りをやったことが見え見えの言葉が、ここでもまた出てきます。

 

 

村上正哲元校長についてまとめると、、

村上正哲元校長は、河村教諭の左肘が、石川周治教諭の右ほほあたりに当たった時、まさにその場に駆け付けてきて「居た」のです。

 

 

 

河村卓哉教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:音声で言えば、どなたかが「今殴ったやろう」というのが入ってて、そのあともいろいろ話があって、大分後で石川先生が、「これ効いたよ」ということになって、それから「どうするん」とかいう話になるでしょう。

はい。

弁護M:今、河村先生が言ったのは、石川先生がかなり効いたよと言った後のことなんですか。

その辺りだと思います。

弁護M:それで、私が聞きたかったのは、河村先生の肘が当たったとき、当たったすぐに何か動きがありましたかとりう質問です。

当たったすぐのころ、ちょうどそのときに校長、村上正哲校長がやってきました。だから、そのこともあって、動きが止まったと思います。

 

星田真喜子教諭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それで、河村先生のほうはどうされてたんですか。

河村先生は「押すなや危ない。」と言いながら、後ずさりをしていたので、後ろへ引っ繰り返ったら頭を打つと思うぐらい押されていました。

弁護M:押されていたということなんだけど、押しているのは石川先生なんですか。

はい。

弁護M:それは手を出して押すんじゃなぐて、肩を。

肩か胸か、このへんが当たっていたと思います。

弁護M:肩とは、胸の上のほうの部分を河村先生のほうに押しつけていたということですか。

はい。

弁護M:それで、河村先生が後ずさりをしてたということだから、実際に当たっていることもあったんですか。

はい。

弁護M:そうすると、石川先生が河村先生を押しながら、相談室のほうに移動していったということですか。

はい。

弁護M:ほかの周りでいる先生方はどうされていましたか。

るみ子先生が「やめてください、やめてください。」という声は聞こえましたが、ほかの人が止めようとしていた声は聞こえなかったし、止めようとはしていませんでした。

弁護M:村上るみ子さんが「やめてください。」というのは、だれに言っているんですか。

私は押すのをやめてくださいということだったかなと思います。

弁護M:そういうように動いているわけですけども、そのあとどうなりましたか。

肩で当たったと思います。

弁護M:まず、だれの肩が、だれに当たったの。

石川先生の肩か胸が河村先生に当たるので、河村先生が、私が見たときは手でこう、自分の身をよけようとしていたと思います。手は挙げてたのを見ました。

弁護M:手を挙げるというのは、どういう形で挙げているんですか。まっすぐ上に挙げているのか、曲げているのか。

曲げて、こう、顔をどない言うんですか、守ろうと、顔を守ろうと、ごめんなさい、上手に言えんですけど、とにかく自分の顔に当たらないようにと思ったんか、顔の前で手を。

弁護M:今の体勢からすると、両手のひじを曲げて、手のひらを相手のほうに向けて、顔あたりで左右に振っていたということですか。

はい、そうです。

弁護M:そういう体勢を河村先生のほうはとっていたということですか。

はい。

弁護M:それで、後どうなるんですか。

それで「今殴ったろ。」というのが聞こえて「警察じゃ。」と言うんで、高橋先生が「警察じゃ。」というのが聞こえました。見たら、すぐに職員室に飛び込んだのが見えたので、えっと思って校長先生のお顔を、目と目が合いました。で、校長先生の目を見たけれども、警察呼べとも、うんともすんとも言わないので、えっと思ったから、校長先生、本当に大丈夫なんかなと思って、少しの間、校長先生と目と目を見合わせました。

弁護M:「殴ったやろ。」と言ったの、何という声が聞こえたの。

「殴った。」と聞こえたんですけど。

 

 

 

村上正哲元校長と篠崎良治教頭については、証言を検証する前に、音声データに声が入っていることを明かしましたね。

そうなのです。

ですから、

河村卓哉教諭や星田真喜子教諭が証言していることが正しい

のです。

 

 

 

それで「今殴ったろ。」というのが聞こえて「警察じゃ。」と言うんで、高橋先生が「警察じゃ。」というのが聞こえました。

篠崎良治教頭は、この時に廊下にいるのです。

 

 

 

では、篠崎良治教頭がどのように嘘の証言を平気な顔して言っているのか、見てみましょう。

 

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:さて、それで、前回の証言は、職員室に行った後で事務室のほうに行ったと、事務室にいると「大きな声がする。」とSさんが言った。それで、廊下に出るということを証言されましたけども、その鈴木というのはSさんでよろしいんですか。

はい。

弁護M:事務室にいたのはSさんだけですか。

Iさんもおりましたね。

弁護M:I子さんでいいんですか。

はい。

弁護M:その2人がいたということですか。

そうです。

弁護M:それ以外にどなたかいましたか。

いや、覚えておりません。

弁護M:事務室に校務員のYさんですか。

そういう方も校務員でおられますね。

弁護M:Y子さんは事務室にいませんでしたか。

私は覚えておりません。

弁護M:そうすると、あなたは、その事務室で、Sさん、Iさんがいたということですね。

そのように記憶しております。

弁護M:そうすると、2人も、本件の騒ぎがあったときに、事務室で、教頭であるあなたも含めて、3人がいたということになるわけですが、SさんもIさんも、あなたがいたと言ってはおりませんので、事務室にはいなかったのではありませんか。

私はおりました。

弁護M:Sさんも、平成22年3月5日に検察庁において、池田副検事さんの取調べを受けていて、供述調書が作成されていますが、事務室で教頭先生と一緒にいたということは言っていませんが、あなたの記憶に間違いはありませんか。

ありません。

弁護M:Sさんの供述調書によれば、廊下に出てみると、人が集まっていた。その集まっていた中に篠崎教頭もいました。そういうことを言っていますが、違うんですか。

その前後は、私は事務室にいて、それから、その場所へ行ったので、そのあとSさんが見たら、私がおることになりますよね。そのあたりは、どういうことを聞かれてるのか、私は分かりません。

弁護M:もう一人の、Iさんも検察庁において、平成22年3月1日に検察庁において、池田副検事さんの取調べを受けて、供述調書を作成しておりますけども、この方も、事務室にいて、Sさんといたというだけであって、教頭と一緒にいたとは言っていませんが、あなたの証言は間違いではありませんか。

間違いではありません。

弁護M:今言ってるIさんは、校務員のYさんは、ちょうどそのころは、市役所に行く用事があったので、いませんでした。だから、事務室にいたのは、IさんとSさん、その2名だとはっきり言ってるんですけど、この2人の説明は間違っているんですか。

私がいなかったと言ったんですか。

弁護M:はい。

そういうふうに、供述書に、いなかったと、はっきりIさんは言ったのでしょうか。

弁護M:2人がいるというふうに書いてますよ。

私がいなかったと言ったんでしょうか。

弁護M:事務室に2人がおると書いてあるんです。

 

検察官Y(柳浦)

検察Y:議論になっておりますので。

 

弁護人(水口)

弁護M:だから、私は言ってる、Sさんは、音がするので、廊下に出ると、人だかりがいて、その中に、篠崎教頭がいたと言ってるんです。

だから、私はその場に行きました、事務室から。間違いありません。

弁護M:そこになんでこだわるのか、私にはよく分からないけども、Sさんは、今言ってるように「大きな声を聞いて、事務室にいた校務員のIさんと、何だろうなというふうに感じたのを覚えています。それで、廊下に出てみると、もう六、七人の人が集まって、ワァワァもみ合っていました。そこに集まっていた人は、伊藤先生、河村先生、石川先生、篠崎教頭、村上校長、高橋恭敬先生、本宮先生がいました。」こういう流れになってますよ。そういう流れになってるので、あなたは事務室にいなかったのではありませんか。

私は職員室で、3年生がいますよと言ったときから、事務室へ行って、大きな声がして、現場まで行ったの、この記憶は絶対に間違いありません。

弁護M:それから、前回の証言では、廊下に出ると、7、8人の人だかりが見えましたと言いましたけども、7、8人というのは、どなたがいたんですか。

はっきり覚えておりません。

弁護M:全部言わなくてもいいですよ。覚えてる方を言ってください。

私は現場に行ったときに、伊藤先生が興奮をしていたと、それで、近藤寛君が横を持っていたと、そこに河村先生もおったし、見えたのは、あと、本宮先生、合田大先生、村上るみ子先生、そのあたりはおったように記憶しております。が、廊下から見たときには、だれかというのは、今の記憶では分かりません。

 

 

 

 

篠崎良治教頭は、廊下で大声があった時、自分は事務室にいたと言っている

のですが、

事務室にいたSさんと、Iさんは、事務室に篠崎良治教頭がいたとは言ってない

のです。2人とも。

 

そこで、水口弁護士が訊きます。

SさんもIさんも、あなたがいたと言ってはおりませんので、事務室にはいなかったのではありませんか。

 

それに対して、篠崎良治教頭は答えます。

私はおりました。

間違いではありません。

 

しかし、途中から、答え方が変わってくるのです。

 

私がいなかったと言ったんですか。

そういうふうに、供述書に、いなかったと、はっきりIさんは言ったのでしょうか。

私がいなかったと言ったんでしょうか。

 

 

これは、

篠崎良治教頭が追い詰められていっている様子

を表しています。

もしかしたら、篠崎良治教頭はIさんやSさんに「自分が当時事務室にいたことにしてくれ」と頼んでいたことがあるのかもしれない。そんなことを思わせます。

自分が本当にいなかったのなら、そこにいた人がどんなことを言ったとしても、「私はそこにいました」と答えればいいだけのことだからです。

 

 

 

この篠崎良治教頭という人物は、「覚えておりません」という言葉をよく使っています。

彼の場合は、はっきりと、偽証罪の処罰を受けるのを防ぐことが意識の中にあるようです。ですから、見え空いた嘘を言うよりは、「覚えておりません」と言って逃げるのです。

この点、石川周治教諭や伊藤貴仁教諭や本宮久忠義教諭や高橋恭敬教諭や村上正哲元校長の方は素人です。苦しい嘘をいっぱいついています。

 

 

では、篠崎良治教頭の「覚えていません」のオンパレードをご覧ください。

 

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(弁護M)の証人尋問

弁護M:それから、前回の証言では、廊下に出ると、7、8人の人だかりが見えましたと言いましたけども、7、8人というのは、どなたがいたんですか。

はっきり覚えておりません。

弁護M:全部言わなくてもいいですよ。覚えてる方を言ってください。

私は現場に行ったときに、伊藤先生が興奮をしていたと、それで、近藤寛君が横を持っていたと、そこに河村先生もおったし、見えたのは、あと、本宮先生、合田大先生、村上るみ子先生、そのあたりはおったように記憶しております。が、廊下から見たときには、だれかというのは、今の記憶では分かりません。

弁護M:今言ってるように、伊藤、近藤、河村、本宮、合田、村上、この6人のことは覚えてるんですか。

現場に行ったときに、そういうふうにいたと思っております。

弁護M:高橋恭敬さんはどうですか。

覚えておりません。

弁護M:校長はどうですか。

覚えておりません。

弁護M:校長はいたでしょう。

いたでしょうと言われても、私は覚えてないんです。

弁護M:被告になってる河村先生は、校長は当初から現場にいたというふうに言ってるんだけども、校長自身も、現場にいて、河村先生と伊藤先生がどなり合いを始める前に、現場に行ったことを認めていますが、校長はいたのではありませんか。

私は覚えておりません。

弁護M:なぜ、覚えてないんでしょうか。

 

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:だから、井原さんの捜査報告書はそうじゃなくて、教頭から、どういう原因で騒ぎになった、どういうことがあったか、そういう状況を説明したという報告になってるから、あなたがしたんじやありませんか。

覚えておりません。

弁護M:それは、このあと、井原さんが証言するから聞いてみますけど、教頭から3年生の男子生徒一人が保健室で休んでいた際に、伊藤教諭が合唱コンクールの練習参加を生徒に促したが、保健室に居合わせた河村教諭がこれに反対し、両教諭間でもめて、騒ぎになったと、ちゃんと原因を説明したんではありませんか。

覚えておりません。

弁護M:その騒ぎを聞いた石川教諭が、伊藤、河村両教諭の仲裁に入ったところ、河村教諭が「私の体に触れるな。」などと言って、振った右ひじが石川教諭の左ほおに当たった、そう説明したんではありませんか。

覚えてませんね。

弁護M:そういう状況を、だれかが説明しないと、報告書には書けないわけだから、それともう一つ、今回の事件が発生した時間、これをだれが説明しましたか。

そのあたりは調書に書いてあるとおりと思うんで、私は今覚えておりません。

弁護M:だれの調書なんですか。

それは知りません。私の調書かも分からないし、ほかの人の調書かも分からないとは思います。

弁護M:じゃ、なぜ書いてるとおりだと言えるの。

私が言っているんだったら、私が、そのときの、今よりも、そのときのほうが時間が短いわけですから、それは、そっちのほうじやないでしょうか。今は覚えておりません。ということです。

弁護M:今、私が言ったのは、警察官が、捜査報告書で、あなたから、こういう説明を受けたと書いてあるので、それで、確かめてるわけだから。

どういうふうに書いてるのか、敢えてください。

弁護M:よろしいですか、今、本人がそうやって、教えてくれと言うわけだから。

 

熱田裁判長

裁判長:どの点についてですか。

 

弁護人(弁護M

弁護M:今の点です。

 

熱田裁判長

裁判長:さっきのところは、もう重複だからいいでしょう。

 

弁護人(弁護M

弁護M:だから、ちやんと見たほうがいいんじゃありませんか。

 

 

 

と、まあ、こんな具合ですね。

覚えてません」の連発の後、「どういうふうに書いてるのか、敢えてください。とは、もう法廷をなめているとしか言いようがありません。

しかるに、この熱田裁判長ときたら、

もう重複だからいいでしょう。

です。裁判長も裁判長ですね。

 

せっかくですので、篠崎良治教頭が追い詰められて「覚えてません」では済ませられなくなったところを見ておきましょう。

 

 

篠崎良治教頭の証言

弁護人(水口)の証人尋問

弁護M:それから、事件があった平成20年1月ごろのことですけども、生徒の受験に関して、面接指導というのがあって、廊下は非常に寒いんだけども、そこに河村先生も出て、生徒の監視に当たってほしいと、そういうような指示をしましたか。

してません。

弁護M:更衣室、いわゆるランチルームだけども、そこで、学年主任の伊藤さんに対して、廊下に立って監視を依頼するように、みんなで手分けしよるんです、そういうふうに言うたらええんじゃというようなことを言っていませんか。

覚えておりません。

弁護M:これは、河村先生は寒さに弱くて、とても廊下に立って指導ができないということを分かった上で、伊藤学年主任を通じて命じたので埠ありませんか。

覚えておりません。

弁護M:河村さんは、実際に立ってたでしょう。実際に、廊下に立って、今、あなたが言われてるような、監視をする、そういう役目を果たしたでしょう。

いつの時期ですか。

弁護M:平成20年1月。

何の入試の指導ですか。私立でしょうか、県立でしょうか。

弁護M:私立だそうですよ。

それは、私立ですね。

弁護M:そのときにそういう指導をして、そして、河村先生が寒い中、立って、監視をしてたのを覚えてませんか。

私は見てません。

弁護M:河村先生がどんな状態だったか、見てるでしょう。

私は見てません。

弁護M115日には、布団をかぶらんようにしろ、そういうことを伊藤さんに言うてませんか。

覚えてませんね。

弁護M:河村先生は、いったん断ったけども、学年主任が、みんなが手分けしよると言うから、寒い中で、シュラフをかぶって、湯たんぽを入れて、それで立ってたんでしょう。その格好を見て。

見てません。

弁護M:1月15日には、今度は、布団をかぶらないようにしろ、そういうことを、あなたが言ったでしょうがね。

いや、覚えてませんね。

弁護M:それはまた、あなたが直接そういう発言をしてることは、また別なことで立証しましょう。それがあって、次の1月16日に本件の事件があったんではありませんか。

何日ですか。

弁護M:1月16日。

その面接は15日ですか。

弁護M:私が聞いたのは、1月15日に、伊藤さんに、みんなで手分けしよるんですと言うて、立てるように指示を与えた、1月15日には、今度は布団をかぶらずにするように指示をした、それで、1月16日に本件の事件があったと。ちなみに言うと、1月15日のときには、布団をかぶらないようにと言うだけでなくて、私立の入試に付き合うように言えと、そういうことまで言ったのではありませんか。

覚えてません。

 

 

 

「見てません」と「覚えてません」をよく使い分けています。

実は、水口弁護士が聞ているこの出来事はあったのです。

篠崎良治教頭もちゃんと自分で知っているのです。

 

     このことに関する『ランチルーム』(正式には更衣室)の会話はこちらからどうぞ

 

ただし、彼はいつもそうなのですが、自分は表に出ないように、周りの手下を使ってやりますからこの時も伊藤貴仁教諭に指令を出して、このようなことをしたわけです。

だから、「してません」も「見てません」も事実です。

 

けれども、

1月15日には、布団をかぶらんようにしろ、そういうことを伊藤さんに言うてませんか。

 

伊藤貴仁教諭にそのような指示を出したのは事実ですから、この問いに対しては「覚えてません」ととぼけるしかないわけです。

 

したがって、篠崎良治教頭が「覚えてません」と言ったときは、じつは「はい」と言うことなのです。

 

 

 

上の返答の中で、篠崎良治教頭が追い詰められて思わずこう答えたところを見てください。

 

弁護M:河村さんは、実際に立ってたでしょう。実際に、廊下に立って、今、あなたが言われてるような、監視をする、そういう役目を果たしたでしょう。

いつの時期ですか。

弁護M:平成20年1月。

何の入試の指導ですか。私立でしょうか、県立でしょうか。

 

1月と言えば、教師ならだれでも分かることです。私立の入試の時期です。公立ではありません。

そんな当たり前のことをあえて質問するのはなぜでしょうか?

 

それは、思いがけず、自分たちしか知らないと思っていたこの出来事を突き付けられたので、動揺してしまったのです。

そして、自分を立て直すのに時間稼ぎをするために、わざわざこういうどうでもいいような質問をしたのです。

 

 

 

 

 

 

では、村上正哲元校長と篠崎良治教頭について、もういちど、まとめておきます。

 

河村教諭の肘が石川教諭に当たった時、

村上正哲元校長は、保健室前廊下にいた。

篠崎良治教頭は、トイレ前廊下にいた。

 

 

すなわち

村上正哲元校長篠崎良治教頭

偽証している。

 

 

 

 

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